3月のスケジュール/真菰蒸し

昨年、まだ夏の日差しの気配の濃い9月のはじめに、八ヶ岳の麓で発酵真菰(まこも)風呂に入る機会に恵まれました。数ヶ月追い焚きを続け発酵した湯船は真っ黒。
こわごわ浸かってみると、たちまち身体中の筋膜がゆるっとゆるまり、思考は止まり湯船に浮かぶはただいい塩梅ただそれのみ。
それは濃い温泉の源泉に浸かったような、丁寧に醸された藍の甕の中に布と一緒に手も染まるまで浸していた時のような、そんなほぐれを忘れがたく思っていました。

 

静岡でのセッションメニューに新しく「真菰(まこも)蒸し」が加わります

縄文時代から日本に生息するとされる真菰は、古くからお歯黒や眉墨の墨の原料として日常の中で肌につけるものとして愛用され、また「神、宿る草」として出雲大社のしめ縄に使われるなど、日本人の暮らしの中、精神性の中と深く関わってきた植物です。
真菰の持つ枯草菌の一種であるマコモ菌は強力な浄化力と生物の免疫力を高める力を持つとされます。

私たちの普段自分だと認識している身体は、目に見ることのできる皮膚に包まれたボディ単体を示すわけではありません。
エネルギーの面からでもバイオロジカルの面からでもいくつもの層を成しています。
その中で日常的に認識しやすく関わりやすい、そしてダイレクトに体調に関係してくるのが微生物たちの存在のように思います。

私たちの身体には100兆個を超える数の微生物が常在菌として存在していて、これは人の細胞の約37兆個よりも多いとされています。

私たちは菌と共に生命を営んでいると言えます。
その菌たちが今日もご機嫌であるといいなと想いながら菌活を暮らしに取り入れていると、体調を崩した時は台所に見かけないカビがあったりなんだか空気がザラザラしているように感じたりすることに気付きます。

元気に心が静かな時、空間は穏やかに光も優しく入ってくるように感じるのは菌たちの働きによるものでもあります。

真菰蒸しをいろいろな材料、環境で実験してみました。
自らを実験台として喜んで身体を捧げていたのですが、蒸したその日から翌日は鼻歌を歌いながら時には踊りながら動き回っている私がいました

 

健やかさ、ということを考える時
身体に取り入れたものを咀嚼し吸収する消化力と、不要なものは排出することのできる「入れる、出す」のバランスと、
決して痛みをなかったことにしない病気にならないタフネスな強さ、というよりも
怪我や病気をリセットするきっかけにできる柔軟さに健やかさは宿るように思います

 

心地よい菌を纏うこと
それは身の周りの空間を心地のよい親しいものに
柔らかな光を纏うようなことのように思います

 

真菰蒸しは30分のハーブテント、ハーブティを飲みながらゆっくり休憩の30分を1セットの組み合わせです。
身体を芯から温めながら真菰菌をご機嫌菌として迎え入れられてみてください。

真菰蒸しをした後に、真菰菌の優しい空間の中でのクラニオなどのソマティックなセッションもおすすめです。

 

3月もよろしくお願いいたします

春うららな身体づくり、身体も陽気に
生命力溢れる季節がやってきますね

2月のセッションスケジュール


気温差は激しいですが、冷たい風の匂いに時折春の香りが微かに垣間感じるこの頃。
2月もセッションにてお会いできるのを楽しみにしています。

 

共鳴テンセグリティ®︎32本タイプを拝借して味変実験。

プーアール茶は渋みがまろやかに、コーヒーは酸味が軽くなったように感じます。

岐阜のお土産でいただいた登り鮎は身を3つにわけて3段階で試行。
どの部位も美味しかったです。

セッションでは喘息傾向のある方の咳が収まりました。すっきりした、との一言をいただきました。

生命になった瞬間から持つ感覚

名古屋にてイールド紹介WS「「間」とゆだねる動き(イールド)」に参加してきました

イールドを学び始めてからボディワーカーとして、セラピストとしての自分の在り方の探求の日々の中(これは綺麗な例えでなく、本当に千本ノックのような毎日!)にある私にとって、講座への参加は自分の変化を確認できるアウトプットの場でもあります。

一人ひとりがそれぞれのしっくり落ち着く立ち位置を部屋の中に見つけて佇む全体の景色は、空間全体が落ち着いた自然そのもの。
眺めているとこうしよう、ああしようと目を向けるよりもただ感じていることで生まれてくる流れや立ち上がっていく場。

夕陽に照らされ佇む中で、年末から自分自身の膝の怪我にまつわるドタバタと元旦の地震が響いていた、身体の逃走/闘争モードの警戒体勢からやっと自分を解いて寛がせることができました。

意識の上では、緊急事態に対しての警戒モードや地震のトラウマ反応(皆さんもこれまでの震災などで、そういったニュースや映像を繰り返しみることで、気持ちが塞いだり冷静に居られなくなるという反応をされる方も多いかと思います)が自分自身でも起きていることを感じながら寄り添っているつもりではいましたが、無意識下の身体はしっかりその警戒を残したままでした。

自分の身体に寛いで眺める夕陽は、初めて参加したイールドの師・田畑さんのところでの実習の一片を思い出させてくれました。

その時は受け手の方に背を向けて、下からお腹を抱えるように手を充てながら窓から覗く夕陽の気配を眺めていたプラクティショナー役の時の、お互いが生命を見守るような厳かで寛容な忘れられない景色です。

イールドは身体技法ですが、同時に在り方の探求の方法でもあります。
それはクラニオでもウータイでも表面の手法は異なれど、深いところではつながっているように感じます。

どのセッション、メソッドでもプラクティショナー(実践者)とレシーバー(受け手)が心地よくリラックスして今この場に寛ぎゆだねること。

ゆだねる、というのは頭で考えてするよりもずっと自分の中に集中することが鍵なのではないかな、と思います。
私たちは本当は寛ぐ、ゆだねる感覚を本来身体に持っています。
卵子が受精し子宮内に着床するそんな生命の始まりの時から、その場に委ねるということをしているのですから。
セッションの中、生活の中のふとした瞬間をその感覚を思い出すきっかけにしていただけたらと思います。

自分に集中する方の立ち姿は美しいですね。
この講座で改めて感じました。
セッションの後にもご自身の輪郭がはっきりして存在感が増す方もいらっしゃいます。

この日はとても美しい光景に何度も出会いました。

講師の先輩イールダーでありロルファーでも僧侶でもある鎌池さん、ピラティス講師の小川さん。
心地の良い学びの空間をありがとうございました。

楽しくて満ちていて、写真を撮るのをまた忘れました。

 

昨日、名古屋では雪が降りました。
雪を浴び続けると濡れる、ということ。
傘を持つのを忘れがちなのは雪なし国育ちのあるあるかもしれません。
はしゃぎすぎて夕方にはくったり。

まだもう少し合言葉は「あったかいは正義!」

今年もよろしくお願いいたします

年末年始のお休みの間に、おうちで映画「ライフ・オブ・パイ」を観ました。

インドの少年がトラと太平洋を227日間漂流する物語です。

トラも、少年の瞳も、海も空もきれいでした。

変化が続く毎日の中では、日々を泳いでいるよう。
今年もみなさまという船と行き交えること、楽しみにしております。

中川は年末に膝を怪我しまして、こんな大事な時に!と思いましたが周りの人たちのお陰で、ピンチをチャンスに変えることができました。

その時に見つけたセッションの新しい扉の鍵は「集中力」。シンプルに腰を落として仙骨で根を張って。しなやかに居られるように。
今年の抱負にしたいと思います。

今年もよろしくお願いいたします。

本年もありがとうございました

28日、年末年始に読む本を図書館でしこたま借りて、そばのカフェでこれを書いています。

みなさまにとって今年はどんな一年でしたでしょうか。

計画通り!という方も、いつもと変わらない例年通りと少しぼんやりな気持ちの方もいらっしゃるかもしれません。

昨年の今頃、私は大海原を前にしてその波打ち際にやっとたどり着いたような気持ちになっていました。
この目の前の大海へこれから飛び込んで思い切り泳ぐことに気持ちを大きく膨らませていました。

初めての海の中で今までと違った泳ぎ方で進んでいく真っ只中にあると、もしかしたら自分はもがいているだけで泳いでいるなんて考えられない時もあるかもしれません。

思い切り泳いで、疲れたら手足を動かすのをやめて海面にぽっかり浮かんで流れる雲を眺めていました。そしてまた泳いでみる。ゆっくりだったり思いっきりだったり。ただ途切れずにそこで息をして、居続ける。

それは生活をしていた、生きていたということだなあと思います。

静岡と名古屋を月に2回行ったり来たりしながらセッションをさせていただきました。
どこに身を置いても身体があり、心があり、関わりがありました。
毎日の呼吸の中にsoma(生きている身体)への気づきがありました。

カウンセリングや心理療法の有用性を高めるための身体の器を広げ育てていく身体づくりとしてのボディワーク、という視座をクライアントさんからいただきました。

とてもとてもありがたいことだと思います。

実は23日に膝を捻ってしまいました。
まだまだある仕事も再振り分け、周りの方々や絶妙な加減で現れる采配に助けてもらい予想外のところから年末のギフトをいただいたようでした。
これからも身体をやっていこう。

今年も一年触れさせていただきましてありがとうございました。
新しい年もみなさまに心地よい光がたくさん降り注ぎますように!

 

2024年1月のセッションスケジュールです。

2023.12.28 SOMATTICA 店主 中川

12月のセッション

12月のセッションスケジュール

静岡セッションの曜日が木・金・土曜になります。
春に二拠点活動を始めさせていただいて、変わらずセッションのリクエストをいただけること、心より感謝申し上げます。

その人がその人らしくいられるように、正しさを押しつけず、その人の中にその人らしくいられない何かがあるとしたら、その何かがあってもなくても大丈夫なのだと感じる体験を経ていく様を、そばで丈夫に見守ることができますように。


つらい急性な痛みなどに対処は必要ですがその成果のゴールはスタートであり、その身体で生きる生活はその先もずっと続きます。

小休止はあっても私たちはずっとプロセスの中を歩み続けていきます。

みなさまの花が咲き、萎んだ花から実がなる繰り返しの今ココを、未熟ながら見守らせていただけましたら嬉しく思います。

暖かくなったり急に冷えたり。その時々のご自分の身体と心へのちょうどよい心地よさを選択なさってください。

日々訪れる最善の計らいを受け取られますように!

11月の予定

静岡と名古屋を行ったり来たりの二拠点活動。
おかげさまで春にはじめてから半年が過ぎました。

どうなっていくのかわからないまま始めた二拠点生活。
移動をするということでその先で出会う人たちが変わる、食べ物や水の違いを楽しむ。

その先々で自分の感覚や思考、そんなものの輪郭がはっきりとしていく。

私は私のまま、今いる未知と出会っていきながら、育っていく自分に会っているのだとおもいます。

「丁寧に生きる」ということにこの仕事を始めた最初の頃、心がけていました。

当時は所作をゆっくり、手作り、量より質で、、、などなど思っていたのように思います。

今のところは身体の声に耳を傾けながら、自分と心地よく過ごすことで自然と「丁寧に生きる」所作や方法、選択の幅が生まれてくるように感じています。

そんな試みの一つとしてnoteを始めました。

 

 

11月の静岡セッションスケジュールはほんの少し変則的になっています。祝日もありますね。
静かな空間から外の賑やかなさざめきを眺める、そんな休日の過ごし方もおすすめです。

名古屋は掲載スケジュール以外にもセッション枠をご用意することができる時があります。その時にはGoogleカレンダーを更新しています。
ご要望もお聴きしています。

徒然

暑い暑い夏が去り、秋がきたとわくわくしていたら急に冬の足音が聞こえてきました。

カメムシが各地で大量発生しているニュースを読みました。カメムシが大量発生した年は大雪が降るそうです。

以前、飛騨高山のお寺で瞑想合宿に参加した時はまさにカメムシが大量発生。

カメムシがブンブン飛び回る中での瞑想研修でした(笑)

瞑想という普段の意識の層とは違うところにいたからなのか、場も山の奥の奥、熊鈴が必要なお寺でしたので今思えば場の持つ力を感じられる体験でした。

部屋の方々に置いてあるペットボトルに吸い寄せられていくカメムシたちが印象に残っています。

*

生活の中で起きたことから気付いて自分の枠を整え直す

知らず知らずのうちに自分のキャパシティから溢れていたものを収める

余白を作る

日々の出来事はいつも必要なものを教えてくれます

そのことに快く気づけるような
ご自分で居られるためにセッションを役立てていただければと思います
 

日々訪れる最善の計らいを受け取れますように

朝晩冷えてきましたので温かくしてお過ごしください。

10月のスケジュール

タイトルを書いてもう10月なのかと改めて驚いていた

先週くらいまでは蒸し暑くてまだ袖のない服を着ていたはずなのに、半袖を通り越して長袖になってしまった。

夏の日差しで焼けてパサパサだった髪と肌が汗をかかなくなったら急にしっとりしてきた、と思ったら空気が乾燥しだしてセッションルームに加湿器はいるかどうかを考えている。

とにかく駆け足で帳尻合わせのように次の季節への引っ越しが行われている。

今年の夏は本当に暑かった。「危ないですね」と声を掛け合った。

だけれどもうそんな暑さのことは忘れていて、南瓜やにんじんの煮物に身体が喜ぶ。

 

自由とはなんだろう。

何でもない時に、音楽に身を委ねることができることなのかもしれない。

躰にあいた二つの穴からこの世界を覗く時

今朝、コーヒーを淹れるとフィルターの中の挽いた粉がなだらかな坂を作っていて、私はそういえばまだ砂丘を見たことがないけれど、こんな感じなのかしらと思うくらいに美しかった。

共に響きあう=共に生きる

ーテキストがない、動画や写真撮影もない、そもそも正解の設定がないー

あぐらを組んだり寝転んだり壁にもたれたり。参加者は楽な姿勢で、だが目は真剣に話を聞いている。

私もあぐらを組んだり、時にゆらゆら揺れたりしながらできるだけ疲れない姿勢でそこで出会う言葉、体験、空気を一瞬だって見逃したくない気持ちと、思考さっぱりオフにして空間に溶け込んでいたい気持ちが時々入れ替わりながらその風景の一部分であることを味わっていた。

探求者としての引き出しを棚卸しをする、そんな空間に9月の初めに八ヶ岳で3日間。


「身体とベクトル平衡体の共鳴テンセグリティ®︎による実験」

質問を何度かしようと思ったけれど、あえて黙って参加者の意見や講師の話を聞いていると自分の持ったはじめの質問が段々深まっていく。
自分が持った疑問の核の部分、その疑問を持つことで本当は何を知りたいのか、どこに結びつけたいのか。
帰った後にどんな資料を探そうか。
やがて、自分が何を大事にしたいのか、にたどり着く。

話を聞いているうちに、自分のテーマに関する気づきがパズルのようにハマっていくのを頭の後ろで感じていると、知らぬ間にぼやけていた視界のピントが合わさり、自分の輪郭がクリアにはっきりするという体験

 

出来上がったベクトル平衡体モデルを持っている
知らず知らずのうちにニコニコしている自分。

これが生き物としてのデフォルトの状態なのだ。

4mのテンセグリティドーム
重力からくる引き合う力と身体の張力の伸び縮みする力はすぐさま手を結び、ドームの中にいる自分の中に湧いてくるものは余計な感情や思考をくっつけないありのままのもの
ドームから出るとやがてまたかつての自分の思考の癖が見えてくる。眺める自分の意識は閑かーー

床に寝そべると、生命の大勢の中の一つのピースとしての自分の輪郭

ドームに一歩入った時の身体の中が沸き立つような至福状態もよいけれど、私は静かなこの感じで居たい。

 

ベクトル平衡体を使ったイールドのセッション

今年に学び始めたイールド。たとえ1日の講座でのショートなセッションであっても毎回課題が見つかる。

名古屋に帰ってきてセッションをしている時に今回はその課題への材料を見つけた。
捏ねて眺めて形にしていく。

夕食(とても美味しかった)の後、生徒が先生の周りに集まり話に耳を傾ける

縄文や先住民が主な土地の主として居住していた時代。
大切なことはこのように語られ伝えられていたのではないかな、とその時の光景を思い出す度に思う。

この3日間で感じたことを話したら、
「そんな状態にいることができたら、戦争も犯罪もなくなってしまう」
と鋭いコメントを頂いた。

整っている場では出っぱったり、凹んだりすることはなく

それぞれが補い合って、その意識すらなくて。

八ヶ岳で過ごした3日間は、調和という感覚そのものだったと思います。