生命になった瞬間から持つ感覚

名古屋にてイールド紹介WS「「間」とゆだねる動き(イールド)」に参加してきました

イールドを学び始めてからボディワーカーとして、セラピストとしての自分の在り方の探求の日々の中(これは綺麗な例えでなく、本当に千本ノックのような毎日!)にある私にとって、講座への参加は自分の変化を確認できるアウトプットの場でもあります。

一人ひとりがそれぞれのしっくり落ち着く立ち位置を部屋の中に見つけて佇む全体の景色は、空間全体が落ち着いた自然そのもの。
眺めているとこうしよう、ああしようと目を向けるよりもただ感じていることで生まれてくる流れや立ち上がっていく場。

夕陽に照らされ佇む中で、年末から自分自身の膝の怪我にまつわるドタバタと元旦の地震が響いていた、身体の逃走/闘争モードの警戒体勢からやっと自分を解いて寛がせることができました。

意識の上では、緊急事態に対しての警戒モードや地震のトラウマ反応(皆さんもこれまでの震災などで、そういったニュースや映像を繰り返しみることで、気持ちが塞いだり冷静に居られなくなるという反応をされる方も多いかと思います)が自分自身でも起きていることを感じながら寄り添っているつもりではいましたが、無意識下の身体はしっかりその警戒を残したままでした。

自分の身体に寛いで眺める夕陽は、初めて参加したイールドの師・田畑さんのところでの実習の一片を思い出させてくれました。

その時は受け手の方に背を向けて、下からお腹を抱えるように手を充てながら窓から覗く夕陽の気配を眺めていたプラクティショナー役の時の、お互いが生命を見守るような厳かで寛容な忘れられない景色です。

イールドは身体技法ですが、同時に在り方の探求の方法でもあります。
それはクラニオでもウータイでも表面の手法は異なれど、深いところではつながっているように感じます。

どのセッション、メソッドでもプラクティショナー(実践者)とレシーバー(受け手)が心地よくリラックスして今この場に寛ぎゆだねること。

ゆだねる、というのは頭で考えてするよりもずっと自分の中に集中することが鍵なのではないかな、と思います。
私たちは本当は寛ぐ、ゆだねる感覚を本来身体に持っています。
卵子が受精し子宮内に着床するそんな生命の始まりの時から、その場に委ねるということをしているのですから。
セッションの中、生活の中のふとした瞬間をその感覚を思い出すきっかけにしていただけたらと思います。

自分に集中する方の立ち姿は美しいですね。
この講座で改めて感じました。
セッションの後にもご自身の輪郭がはっきりして存在感が増す方もいらっしゃいます。

この日はとても美しい光景に何度も出会いました。

講師の先輩イールダーでありロルファーでも僧侶でもある鎌池さん、ピラティス講師の小川さん。
心地の良い学びの空間をありがとうございました。

楽しくて満ちていて、写真を撮るのをまた忘れました。

 

昨日、名古屋では雪が降りました。
雪を浴び続けると濡れる、ということ。
傘を持つのを忘れがちなのは雪なし国育ちのあるあるかもしれません。
はしゃぎすぎて夕方にはくったり。

まだもう少し合言葉は「あったかいは正義!」