三重〜再訪・施術〜

引き続き、三重に三つの理由が重なって訪れた話。
今回は

・施術させてもらいたい
・もう一度訪れたい場所がある、について。

昨年、御伊勢参りの際に泊まらせていただいて忘れられなかった宿・風見荘さんがあった。

12角形の建物は、足を踏み入れると外のノイズからいい感じに距離を保たせてくれる居心地のいい守られた空間だった。
この空間にいると身体の中にある静かな場所がより感じやすくなる。
ぽかんと心地よくて、そのままで居られる。
漫画「海獣の子供」が置いてあって間違いないと思った。
ここで施術ができたらなんて素敵だろう、気持ちがよいだろうなと思ったのが昨年。

ありがたいことに、宿泊も施術もこちらで叶えてもらうことができた。ありがとうございます。

空間が整っていると「守られている」という身体感覚を感じる。
これは「そんなような気がする」という朧げな期待でも、エビデンスからくる「そうに違いない」という頭ごなしの思考でもなくて肌から伝わってくる自分にとっての確かな情報。守られている、と感じられる整っている空間で施術をさせてもらうと、なんていうんだろう。


施術者と受けてくれる方の空気の振動が揃ってくると、部屋の中の空気の粒が揃ってきているのを目で感じられるように私は思うのだけど、きっと肌や他との感覚が混ざっているのだろうとも思う。
実際揃ってくると部屋に流れる音楽もセッションが終わった後の出来事もいろんなことが拍子を合わせたように揃ってくる。
それがどう揃ってくるのかをお互いの間合いを感じながら進んでいくのが今の私のセッションの大事にしたいところ。
大事なところをうまく伝えたり理解するためには普段ノイズまみれの私たちは肉付けする必要があって、それがセラピストが学んで取り揃えているのが解剖学や様々の理論の知識だったり手技のスキルやレパートリー、在り方そのものだったりすのかもしれない。

空間の粒がもう既に揃っていたら、セッション前から流れは自動的でただ乗っかって感じているだけしかなかった。
受けてくださった方も満足とおっしゃってくださった。

宿の12角形の天井から下がるヒンメリ。私も夏に色々作ってみたので複雑なデザインはおお、となった。

静岡でも引き続きこの心地よさの空気感を保つよう試行錯誤しながら手を育てています。

三重へ〜藍染め〜

・一度行ってみたいところがある
・施術させてもらいたい
・もう一度訪れたい場所がある

先日三重へそんな理由が三つ揃って行ってきました。三重だけに。

「一度行ってみたいところがある」
それは藍染め工房。
今「藍染め」と打とうとしたら「愛染」と出てきて、私のPCは本当によくわかっている。

藍染工房エノクの輪」さんのパンフレットに書いてありました。「藍は愛」だと。

藍染めは江戸時代から続く伝統工芸で、尚且つ植物である藍の持つ生きる力や、微生物の発酵作用を利用した消臭・抗菌・鎮静・鎮痛作用などがあると言われているそう。

こちらには昨年、ソマティカでもセッション会をしてくれたじゅんじゅん @indigo_dye_jun が、藍染めを広げるべく活動しています。

久しぶりに会って、相変わらず平和であったかい空気をまとって元気そうでした。
ありがとう!

私はストールと帽子を染めました。

「藍の華」と呼ばれるもの。温泉の湯の花みたいな?生きてる、生きてる。

藍染め液に布を浸して、取り出し空気に触れさせ酸化したものをまた藍染め液に浸すことを7回程甕を変えながら繰り返す中で、段々身体と心がほぐれてき、温泉に浸かってる時のようとその時は思っていたのですが、よく思い返してみるとあれは筋膜がほぐれていく時と同じ感覚でした。筋膜がほどけるといつも帰り道はネムネムでいい塩梅にくったり。


身体の芯がほぐれて余計な力が抜ける。お喋りも余計になりすぎずこもらずに、考えずに感じながらその場にちょうどいいものを受け取って次に渡す、循環の廻りを感じて。

液に手を浸しているとぬくくてやわくて戯れているようで、口元ほころばせているうちに布と一緒に手も染まりました(爪以外はすぐ落ちました)。

手作り、天然素材、微生物と心地よい記憶とが染み込んだストールと帽子は、初めて染めたにしては上出来じゃないかという自画自賛も含めてお気に入り。
そういえば、夏に寝込んだ時に落ちた体力も三重から帰ってきたら気にならなくなっていました。
低気圧の曇天の気怠さも、強すぎる日差しに自転車のペダルを回して吹き出す汗もなんだかいい感じに真ん中に持ってきてくれています。

先日机に突っ伏して少し寝ようとしたところ、包まれた感覚が欲しくてストールと帽子に手を伸ばし、目を閉じ直したら瞼の裏に4歳くらいの女の子が。

どこか恥ずかしがりながらも好奇心の強そうなキラキラした目とやんちゃそうに笑う口元。
1枚の写真のように急に現れたその子は幼い頃の私だと。

この子がこの頃に体験しているだろう、笑顔も泣き顔も、我慢しなきゃいけなかったことも、思いっきりやらかして笑い転げてたことも、いつも一生懸命だった姿を全部全部包んで私が守ってあげたいな。
そんなことを思ったらみるみる身体の力が抜けていって姿勢の割りに贅沢なお昼寝の時間になりました。

その子は今、私の第一、第二頸椎の辺りで笑っています。
笑っておいで、どこまでも。

三重出張、まだ続きます。

エノクさんの藍染めについての説明動画を道中観てわくわくしていました。

スペースを用意する

しばらく人の様子がザワついているのを感じて。

情報を集めてシェアする人、物資を運ぶ人、物資を寄付する人、行政に頼らず自分たちの力でどうにかしちゃう人、、、
それぞれの生きる力で「自分にできること」を行動していて

「私にできること」

私もつい考えてしまう。

「私にできること」
それは自分の目の前のことをすることでした。

ふとした時に何度考えてもぐるっとそこへ戻ってくる。

外に意識が向かう時、行動はいつも自分の内側へ向かう。

一見、矛盾しているようだけれどやっていくと辻褄があってくる。

目の前に積んであるブロックを片付けるように手をつけていく。

自分の身体、心、環境を、空間を、余白を作っていく。

自分では思いつけない「私にできる何か」がやってきた時にふっと軽く動けるように。

「いつもの」そのままの私で在ること。

被害のお話を聴くと痛々しい気持ちになる。

自分にスペースがあれば、落ち着いて接することができる。
寄り添うことができる。
今の「ちょうどいい」を一緒に探すことができます。


そんなことをしている近頃です。

平常に。淡々と。

「いつもの」自分に戻りたい時。

もっといけちゃう人は
「本来の自分へ戻る」旅へ。

ソマティカのセッションに於いて心に留めていること。

今も台風の爪痕で日常に戻れずにいる方々に心からお見舞いと祈りを。