(社会的な)人間をやめるプラクティス

本州もついに梅雨入りしたらしい

近頃、湿度が高かったり寒暖差もあるなか夏至も過ぎ、翌日には満月も
体調面、精神面共に”満載”なイメージ

気温も高まり季節は陽の性質が強まる時期
晴れると神経系の働きも過活動、雨が降れば低覚醒でもんやりした怠さを感じて毎日を快適に過ごすことが難しく感じられる方もいらっしゃるのではないかなと思います

眠りに就く前のシンプルなセルフケア

・タッピングタッチ
顔からはじめ、両手の指で軽く顔を中心にトントンと交互にタッチ
段々下の、鎖骨の下や胸や鳩尾(みぞおち)、お臍の周りなどをトントン降りてゆく

私たちの目は日頃受け取る情報のうち8割を超える割合を担って働き続けています
目は脳の一部でありながら、唯一外気に触れる器官でもある
目を休ませるのが脳を休ませることにも。

特に何もしているつもりがない時でも働いているのが皮膚の感覚
今日のがんばる時間は終わったよ、これからの時間は休まる時間
外にアンテナを向け続けたがんばるスイッチをオフにできるんだということを皮膚感覚を通してご自分に伝えてあげてくださいね

・「足上げのポーズ」
仰向けに寝転がり、壁に肩幅くらいに広げた状態の脚を預ける
お尻をできるだけ壁に近づけ、L字に
両腕は肘をゆるめてバンザイ

内臓は私たちの自律神経の今をリアルタイム実況してくれています
内臓が下垂すると機能低下から怠さを感じやすい
上部に戻りやすいようスペースを。足を上げることでむくみの怠さにも

・掌で腎臓を温める
湿度の強い季節に、腎臓をケアするのは大切だと経験からも感じます
東洋思想によると腎が反応しやすい感情は「恐れ・不安」
なかなか安心につながれないような気がする時は、腎の過剰反応が起きているのかも?
腎臓のすぐ上にある副腎からはストレスホルモン「コルチゾール」が分泌される

腎臓は肋骨の終わりのところ、腰の少し上の方
寝るぞう、と布団に仰向けになって布団と身体の間に手を挟んだ状態で腎臓に触れる
じんわり手のぬくもりで腎臓と背中は床の方へ安心して落ち着いていくように感じます

セルフケアをする時には
考えることを意識的にオフに、感じることを意識的にオン

今日あった出来事、明日のやるべきこと、人との会話や自分の頭の中での独り言
そんなあれこれは今だけはいいにして掌や指から伝わってくる感覚、お腹のなか皮膚に生まれた感覚
言葉になる前のもんやりした感覚の中に意識を置く
思考が浮かび上がってくる時はがんばりたい自分がいるんだな、と
「今はいいよ」と声をかけてそっとふんわり、触れる

眠る、という大事な休息の時間は
自分だけの時間

社会的な人間から生き物としての自分を大事にする

引用・荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険」

(社会的な)人間をやめるぞ!

そんな意気込みで今夜もぐっすりお休みくださいね

生命になった瞬間から持つ感覚

名古屋にてイールド紹介WS「「間」とゆだねる動き(イールド)」に参加してきました

イールドを学び始めてからボディワーカーとして、セラピストとしての自分の在り方の探求の日々の中(これは綺麗な例えでなく、本当に千本ノックのような毎日!)にある私にとって、講座への参加は自分の変化を確認できるアウトプットの場でもあります。

一人ひとりがそれぞれのしっくり落ち着く立ち位置を部屋の中に見つけて佇む全体の景色は、空間全体が落ち着いた自然そのもの。
眺めているとこうしよう、ああしようと目を向けるよりもただ感じていることで生まれてくる流れや立ち上がっていく場。

夕陽に照らされ佇む中で、年末から自分自身の膝の怪我にまつわるドタバタと元旦の地震が響いていた、身体の逃走/闘争モードの警戒体勢からやっと自分を解いて寛がせることができました。

意識の上では、緊急事態に対しての警戒モードや地震のトラウマ反応(皆さんもこれまでの震災などで、そういったニュースや映像を繰り返しみることで、気持ちが塞いだり冷静に居られなくなるという反応をされる方も多いかと思います)が自分自身でも起きていることを感じながら寄り添っているつもりではいましたが、無意識下の身体はしっかりその警戒を残したままでした。

自分の身体に寛いで眺める夕陽は、初めて参加したイールドの師・田畑さんのところでの実習の一片を思い出させてくれました。

その時は受け手の方に背を向けて、下からお腹を抱えるように手を充てながら窓から覗く夕陽の気配を眺めていたプラクティショナー役の時の、お互いが生命を見守るような厳かで寛容な忘れられない景色です。

イールドは身体技法ですが、同時に在り方の探求の方法でもあります。
それはクラニオでもウータイでも表面の手法は異なれど、深いところではつながっているように感じます。

どのセッション、メソッドでもプラクティショナー(実践者)とレシーバー(受け手)が心地よくリラックスして今この場に寛ぎゆだねること。

ゆだねる、というのは頭で考えてするよりもずっと自分の中に集中することが鍵なのではないかな、と思います。
私たちは本当は寛ぐ、ゆだねる感覚を本来身体に持っています。
卵子が受精し子宮内に着床するそんな生命の始まりの時から、その場に委ねるということをしているのですから。
セッションの中、生活の中のふとした瞬間をその感覚を思い出すきっかけにしていただけたらと思います。

自分に集中する方の立ち姿は美しいですね。
この講座で改めて感じました。
セッションの後にもご自身の輪郭がはっきりして存在感が増す方もいらっしゃいます。

この日はとても美しい光景に何度も出会いました。

講師の先輩イールダーでありロルファーでも僧侶でもある鎌池さん、ピラティス講師の小川さん。
心地の良い学びの空間をありがとうございました。

楽しくて満ちていて、写真を撮るのをまた忘れました。

 

昨日、名古屋では雪が降りました。
雪を浴び続けると濡れる、ということ。
傘を持つのを忘れがちなのは雪なし国育ちのあるあるかもしれません。
はしゃぎすぎて夕方にはくったり。

まだもう少し合言葉は「あったかいは正義!」

12月のセッション

12月のセッションスケジュール

静岡セッションの曜日が木・金・土曜になります。
春に二拠点活動を始めさせていただいて、変わらずセッションのリクエストをいただけること、心より感謝申し上げます。

その人がその人らしくいられるように、正しさを押しつけず、その人の中にその人らしくいられない何かがあるとしたら、その何かがあってもなくても大丈夫なのだと感じる体験を経ていく様を、そばで丈夫に見守ることができますように。


つらい急性な痛みなどに対処は必要ですがその成果のゴールはスタートであり、その身体で生きる生活はその先もずっと続きます。

小休止はあっても私たちはずっとプロセスの中を歩み続けていきます。

みなさまの花が咲き、萎んだ花から実がなる繰り返しの今ココを、未熟ながら見守らせていただけましたら嬉しく思います。

暖かくなったり急に冷えたり。その時々のご自分の身体と心へのちょうどよい心地よさを選択なさってください。

日々訪れる最善の計らいを受け取られますように!

10月のスケジュール

タイトルを書いてもう10月なのかと改めて驚いていた

先週くらいまでは蒸し暑くてまだ袖のない服を着ていたはずなのに、半袖を通り越して長袖になってしまった。

夏の日差しで焼けてパサパサだった髪と肌が汗をかかなくなったら急にしっとりしてきた、と思ったら空気が乾燥しだしてセッションルームに加湿器はいるかどうかを考えている。

とにかく駆け足で帳尻合わせのように次の季節への引っ越しが行われている。

今年の夏は本当に暑かった。「危ないですね」と声を掛け合った。

だけれどもうそんな暑さのことは忘れていて、南瓜やにんじんの煮物に身体が喜ぶ。

 

自由とはなんだろう。

何でもない時に、音楽に身を委ねることができることなのかもしれない。

躰にあいた二つの穴からこの世界を覗く時

今朝、コーヒーを淹れるとフィルターの中の挽いた粉がなだらかな坂を作っていて、私はそういえばまだ砂丘を見たことがないけれど、こんな感じなのかしらと思うくらいに美しかった。

7月のご予約

7月のご予約を承っております。

静岡のご予約について、早めにご連絡いただきましてありがたく思っています。

3月の春分の日に静岡から名古屋へ居を移し二拠点活動を始めました。

静岡のウソのように澄んだ青い空、のどかなゆとりと愛知のガツンと向き合うしなやかな強さを、身体の中に新しく感じる度にこのような循環の形があるのだと体験させていただいています。

自分にとって安心できる場、ちょうどよくしっくりくる心地よさの中で思いきり息をしていると今の自分にとって本当のことしか出てこない。

だれかやどこかの常識に自分を当てはめることがもうできずに、自分の呼吸と一歩一歩歩く自分の足の感覚を感じています。

カウンセリングを勉強した時にスキルだけ学びながらずっと気になっていたカールロジャーズの自己実現のプロセスに喫茶店で、つい掌で机を叩きたくなるほどボディワークも心理療法もたどり着くのはやっぱりここなのかと代わりに膝を打ちました。

『存在の自由』

神様や家族、尊敬する誰かに認めてもらうよりも、誰よりも自分で自分を認められるその道のり。

そうして自分で自分を認められた時、世界に迎え入れられる感覚が生まれてくる。

赤丸が静岡、青丸が名古屋のセッション日です。
お時間の枠はグーグルカレンダーをご覧ください。枠はあくまで目安ですので、お問い合わせいただきましたら前後にずらすことは可能です。

名古屋でのセッション

名古屋市内でクラニオセイクラルを中心にしたセッションを始めました 。

引越しは出産と同レベルのストレスを感じるライフイベント、といわれるのを見て(エビデンスは存じない)、いくら引越し慣れているとはいえまずは生活に慣れること、今受けてくださっているお客様第一に、と自分としては慎重に動いていました。

 


「自分を愛する」とはどういうことか。

自分にご褒美をあげたり、自己犠牲をせずに自分を尊重する。いろいろなことが昨今言われています。

自分のこころの声を聴こうとすると、欲求から歪んで生まれた声だったり、身体の中に居着いた誰かの声に耳を傾けてしまったことが私自身、自分を大事にしようと心がけてやってしまったことがありました。

自分の本心から出ている声はなかなか聴きとりづらい。

なのでカウンセリングなどでは本当の自分の望みを自分の中に潜って探す旅に出たりします。

「自分を愛する」ということの一つに 「自分の神経系のケアをする」という方法もあると思います。

こころの不機嫌とからだの不調はセットになりやすい。
ネガティブな考えが湧いて止まらない時は単にお腹が空いていただけだったり、やけに心が狭いと思ったら頭が痛かったり。
お腹を満たしたり頭痛をケアしてあげると、さっきまでのグルグルはなんだったんだろう、なんてことはよくあったりするもので、
神経系がクリアだと、不調と不機嫌の混ざっているところも見つけやすくなります。
そしてグルグルしている時には見つけられなかった光が降りてきたり、それまで問題と感じていたことが問題としなくてもよくなったり。

だんだん、自分の中がクリアになっていくと自分のご機嫌を自分で取ることもずっと楽になりますし、自分を確かに保てることは本当の意味での自己肯定感を育ててくれるとも感じます。

街の中は刺激がほんとうにたくさんあって、敏感に感覚を鈍らせて毎日の波を乗り切っている方が多いように感じます。
そして、クラニオセイクラルなどのような繊細なタッチを無意識のうちに、敏感にお身体でキャッチされる方も多くいらっしゃいます。

脳が休まり静かに自分の身体の中に戻ることは、明日へ踏み出す一歩を確かなものにしてくれます 。

場所は、地下鉄覚王山駅から徒歩5分。
タイマッサージサロン・changpinちゃんのご厚意でしばらく間借りさせていただくことになりました。

アーティストでもあるオーナーらしいレトロでキュートな空間です。

名古屋でのセッションはベッドセッションとカウンセリングを承ります。

咀嚼する日々

先日、名古屋にてイールドワークとひもトレ、韓氏意拳の講座に二日間参加してきました。

台風で交通は乱れ、外の慌ただしい様子が嘘のように穏やかに、ハプニングも流れの一つとして、調和の場を目の前で見せていただき、体験することができたことに新鮮な驚きと気づきがたくさんあり、言語化しないままにしばらくこの二日間を何度も反芻していた。

韓氏意拳、ひもトレ、そしてイールドワークに根底で繋がっている共通の認識は

「全てがある」ということだった。

身体には必要なこと全てが既にあり、ワークではそれをただ見つけていく。

私たちは日常の中で、つい何かが自分に足りていない「不足感」を抱えているような気がしている。
街に出て目にする社会の在り方には不足感を補うべく「もっと、もっと」と高みを目指し、前進し
必死にまるで「ここではないどこか」へ急き立てるような空気を感じてしまう。

飢餓感すら感じさせる焦燥感に飲まれる時、自分の身体や存在はまるで存在し「ない」かのように空虚なのではないか。

その地点から動く時、私たちは焦りと不安から起きていない問題をまるで「ある」かのように取り扱い、現実に表現してしまう。

しかし、必要なものは全て今この時点、ここに「ある」という視点に立った時、行動や思考の起点になるのはその全てが備わっている自分の身体だ。

そこに現れる行動や思考は、既に自分の中にあるものを拡げていく、差し出し表現していく、循環のアクションになる。

「ある」ものは社会の基準に合わせた数値で表すような能力というよりは、生き物としての生きる力といえるかもしれない。

韓氏意拳では型がない動きを自分の身体の感覚を感じきりながら動いていく。

少しでも思考のコントロールによって動かされた動作は動きが制限され、有機体としての身体の可能性を閉ざされてしまうのはもったいないと思う。

練習しながらふとした瞬間、思考から手放された身体の自然な軌道に乗った動きになった時、私は「私がない」状態になった。
演劇をしている方の感覚はこういうものかもしれないとその時思った。

前の話とは文字にすると逆行するのだが、身体の中が空洞になり、我の不在となった状態がとても心地よかった。

意思から放たれた身体は自由で、クリアで、清々しいものだった。

その動きができた時、私の脳は処理できずにあえていうならアハ体験をした時のように新しい回路が繋がった感覚がした。

身体が実は動けることを体験の上で知り、信頼できると本当の意味での自己肯定感が身についてくる。

私たちの身体は、なんて未知数な頼もしさを教えてくれるのだろう。

 

先日、長い間セッションをさせていただいている方からの卒業のメッセージをいただいた。
私の我は正直なところ寂しさを感じないわけではなかったが、その方はセッションを受けながらずっとご自分の身体を探求し、身体の内側を感じる目が回を重ねるごとに目覚めていくのを感じ、その方の進む道を応援したいと思う気持ちが湧いてきた。
セラピスト冥利に尽きることです。伝えてくださってありがとうございました。

みなさまにはセッションの後、どんどん身体を動かし、その可能性を見つけていく挑戦をぜひしてもらえたらと願います。

きっと新しい身体の可能性を見つけた時のアハ体験はキラキラと輝いているだろうから。

モニターセッションのご感想

モニターベッドセッションのご感想をいただきました*

クラニオセイクラルをメインとしたベッドセッション

身体の中では何が起こっているのか 不思議な感覚に、説明を重ねたくなってしまうけれど
シンプルスパッとしていくとそういうことなのだと思います

普段、氣内臓セラピーをセラピストとして提供されている モニターさん

お顔もはっきりきっぱり出してOKをいただき
口頭でも身体やエネルギーの流れる感覚などを伝えてくださいました    

ありがとうございます   

 

「施術後、前重心だったのが しっかり後ろにも重心がいくようになり

姿勢が良くなり身体が整った感じがします

普段から身体の筋肉を フラットの状態にしたいと思っているので

まっすぐに立った時 ひっぱられる事がなくなりました

この時期、自律神経も乱れがちですが そんな事もなく 元氣に過ごせています」

   

 

  セッションを受ける2日前に 階段で転倒したとのことで 動きが制限されてしまっていた肩と首

「人ってピンチの時に色んな脳内ホルモン出るんだなって経験しました!」

とどんな時でも心身にフォーカスしてしまうのは セラピストあるあるですね

セッション後「動きます!」と 頭をふりふりされていたのが印象的でした  

構造的な変化は 右肩上がりの改善にばかりでなく
それまで固着し繰り返しになっていたパターンが変わることにも大切に気付いていきたい  

その変化は 生命がありのままに、この世界と関わろうと枠の外へ泳ぎでた最善の動きに思えます  

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モニター・メニュー/60分  ・初回3,000円 ・2回目〜5,000円
<条件>匿名でお顔の出ない範囲の施術前後の写真、ご感想の提出・ブログ・SNS掲載させていただける方

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一人一人によりよく生きる力が十分にあると信頼し、手を添わせて空間を繋ぎ見守る  

いま登っているのはこの山で、それにはセラピスト自身としていまここの体験にどれだけ開いていられるか

安心の感覚を持っているか

噛みごたえあり

まだ桜咲き始めの頃、東京のYeild練習会に参加してきました。

 

練習会でのセッション交換では講座で感じた自分の課題がより明確になり、それから生活の中での意識から段々見える景色が変わっていくのを感じながら自習しているような感覚で過ごしています。改めて没頭できる環境がありがたい。
そのセッションから肩甲骨の可動域がグッと広がり、今までと比べて左手の感覚が開き使いやすくなった感覚があります。

 

練習会後は韓国料理でランチをしながら似た領域、共通言語に新たな刺激と心強い安心感。
何気なしに差し出した言葉がすっと通じ、広がっていく会話は何よりの共感を生む。

 

その後、新宿御苑でのお花見にはYieldの師、田畑さんもいらっしゃり、
とても美味しいおしゃれスイーツと共にまた話に花が咲き、帰る時間が惜しく。

 

2月に参加したYieldの講座では学ぶものがとても多く、その咀嚼を2ヶ月が経った今でもしている。

 

「相手のスープの中で私が一緒に泳ぐことはできない」
「別々のスープの中にいるからこそ手を繋ぎ、支え合うことができる」

 

これは以前クラニオ仲間が教えてくれたクラニオバイオでの話。

 

講座初日に田畑さんの話を聞いていると、聞こえてくる話の裏側で何かが響き合い、パズルが合っていくような動きが私の脳内で起こって、この話が突然私の中で肚落ちした。

この時、田畑さんは特にこの話をしていたわけではないのだけれど、必要な学びが得られる場ではこういうことがよくある。

Wuotaiの師、ローランの話を聞いている時にも同じように私の中での答え合わせがどんどん進んで、私の身体は喜びに興奮し涙が出そうになったことが何度もあった。

Yieldの場でも怪しいかな、1人ニコニコしながらメモが止まらなかった。

 

根底に共通したテーマがある時、言外に場が共鳴しパズルが完成して一枚の絵になる。
そんな奇跡のような瞬間は、それまで森の中で試行錯誤していたことが報われるような、一瞬で目の前の霧が晴れるような体験だ。

その根底に共通したテーマが一枚の絵になる時、クラニオやWuotai、以前していたタイマッサージ などのジャンルの垣根の向こうで深まり、進むものが確かにある。

 

マットセッションでもベッドセッションでも、仕事でも日常でも、生きるということについての学びはアクションひとつひとつを最善最高に導いてくれる。

 

なんの気なしに高速バスで名古屋ー東京を移動してみたら、片道5時間半。
山々を眺めながらSAで地方のお土産を楽しみ、ボーッとし、本を読んで、うとうとして、とても贅沢な時間の過ごし方をさせてもらいました。
名古屋・静岡・東京の桜も楽しみ、3月末で閉店してしまった八重洲ブックセンターにも長年の感謝を込めてスライディングで赴くことができた、ちょっとした小旅行。

 

今夜から静岡に移動です。
静岡を離れて以後、ご理解いただきご予約いただけることありがたく思います。
そして、セッションのできる場を保ってもらえていること、重ねてありがたく感謝です。

セッション、楽しみにお待ちしています。

花って放って

春分の日にえいやっと静岡と名古屋の二拠点活動を始めました。

せっかくの節目。仕事場にも各部屋にもありがとうと言い、これかもまたよろしくと言って出発。

引越し一つ、人が1人移動するにも、手伝ってくださったり応援してくださった方々の手を取りありがたく。
1人じゃ何にもできないんだなと胸を温かくしています。

巷では春分の日から続く3日程がとても大きな節目の日とされていて、私自身も何かが切り替わるようで同時にまっさらな自分を感じるような日が続いていました。普段のルーティンの中では隠れてしまっていた奥にある自分の姿がふとした拍子に見えるような。

こんな節目の日には新しい目標を立てるといい、引き寄せたいものを願うといいという文言をよく見かけて改めて考えてみた。
と言いながら冬至から春分にかけては、新旧暦の新年に始まりたくさんの節目があってその度に考えてみているので頭で考える目標やなりたい自分はたくさんある。そこからカーテンをめくった奥にある一貫したテーマもみたいところ。

何を引き寄せたいか、ということも大事だけれど、引き寄せられるものは望むものが今在る器のサイズに再構築されたものだと感じる。

「どう在りたいか」を明確に、その上でしっかり望みたい。

自分の今いる世界との間をその在り方とで繋いでいられるように。

 

そして同時にこうした頭で掲げた在り方と実際に自分の何が変わったのか、行動をみるのがまた面白い。
情報や示唆が多い環境の中では気づきは過ぎるほどに生まれる。
では気づいた後、自分の行動の何が変わっているのか。
気づきに花が咲き、実になる時。なんだかふわっと微笑ましくて、子供はこんなふうに育っているのだろうかと思う。

名古屋で出張セッション。4年ぶりに受けてくださった方が
「よりマニアックになって・・・」とほくほく伝えてくださいました。
そうなんですよ、わかります?とこちらもほくほく。

3/30.31.4/1は静岡のセッションDAY。
それぞれにまだご予約枠は少しずつありますので、気になられている方はご連絡ください。


花曇りの続くこの季節、なんだか自分では思っているより動きに制限がかかりやすくなっている方もいらっしゃるかもしれませんね。思いっきり動くことをご自分に許可されてみては?