本年もありがとうございました

28日、年末年始に読む本を図書館でしこたま借りて、そばのカフェでこれを書いています。

みなさまにとって今年はどんな一年でしたでしょうか。

計画通り!という方も、いつもと変わらない例年通りと少しぼんやりな気持ちの方もいらっしゃるかもしれません。

昨年の今頃、私は大海原を前にしてその波打ち際にやっとたどり着いたような気持ちになっていました。
この目の前の大海へこれから飛び込んで思い切り泳ぐことに気持ちを大きく膨らませていました。

初めての海の中で今までと違った泳ぎ方で進んでいく真っ只中にあると、もしかしたら自分はもがいているだけで泳いでいるなんて考えられない時もあるかもしれません。

思い切り泳いで、疲れたら手足を動かすのをやめて海面にぽっかり浮かんで流れる雲を眺めていました。そしてまた泳いでみる。ゆっくりだったり思いっきりだったり。ただ途切れずにそこで息をして、居続ける。

それは生活をしていた、生きていたということだなあと思います。

静岡と名古屋を月に2回行ったり来たりしながらセッションをさせていただきました。
どこに身を置いても身体があり、心があり、関わりがありました。
毎日の呼吸の中にsoma(生きている身体)への気づきがありました。

カウンセリングや心理療法の有用性を高めるための身体の器を広げ育てていく身体づくりとしてのボディワーク、という視座をクライアントさんからいただきました。

とてもとてもありがたいことだと思います。

実は23日に膝を捻ってしまいました。
まだまだある仕事も再振り分け、周りの方々や絶妙な加減で現れる采配に助けてもらい予想外のところから年末のギフトをいただいたようでした。
これからも身体をやっていこう。

今年も一年触れさせていただきましてありがとうございました。
新しい年もみなさまに心地よい光がたくさん降り注ぎますように!

 

2024年1月のセッションスケジュールです。

2023.12.28 SOMATTICA 店主 中川

12月のセッション

12月のセッションスケジュール

静岡セッションの曜日が木・金・土曜になります。
春に二拠点活動を始めさせていただいて、変わらずセッションのリクエストをいただけること、心より感謝申し上げます。

その人がその人らしくいられるように、正しさを押しつけず、その人の中にその人らしくいられない何かがあるとしたら、その何かがあってもなくても大丈夫なのだと感じる体験を経ていく様を、そばで丈夫に見守ることができますように。


つらい急性な痛みなどに対処は必要ですがその成果のゴールはスタートであり、その身体で生きる生活はその先もずっと続きます。

小休止はあっても私たちはずっとプロセスの中を歩み続けていきます。

みなさまの花が咲き、萎んだ花から実がなる繰り返しの今ココを、未熟ながら見守らせていただけましたら嬉しく思います。

暖かくなったり急に冷えたり。その時々のご自分の身体と心へのちょうどよい心地よさを選択なさってください。

日々訪れる最善の計らいを受け取られますように!

11月の予定

静岡と名古屋を行ったり来たりの二拠点活動。
おかげさまで春にはじめてから半年が過ぎました。

どうなっていくのかわからないまま始めた二拠点生活。
移動をするということでその先で出会う人たちが変わる、食べ物や水の違いを楽しむ。

その先々で自分の感覚や思考、そんなものの輪郭がはっきりとしていく。

私は私のまま、今いる未知と出会っていきながら、育っていく自分に会っているのだとおもいます。

「丁寧に生きる」ということにこの仕事を始めた最初の頃、心がけていました。

当時は所作をゆっくり、手作り、量より質で、、、などなど思っていたのように思います。

今のところは身体の声に耳を傾けながら、自分と心地よく過ごすことで自然と「丁寧に生きる」所作や方法、選択の幅が生まれてくるように感じています。

そんな試みの一つとしてnoteを始めました。

 

 

11月の静岡セッションスケジュールはほんの少し変則的になっています。祝日もありますね。
静かな空間から外の賑やかなさざめきを眺める、そんな休日の過ごし方もおすすめです。

名古屋は掲載スケジュール以外にもセッション枠をご用意することができる時があります。その時にはGoogleカレンダーを更新しています。
ご要望もお聴きしています。

徒然

暑い暑い夏が去り、秋がきたとわくわくしていたら急に冬の足音が聞こえてきました。

カメムシが各地で大量発生しているニュースを読みました。カメムシが大量発生した年は大雪が降るそうです。

以前、飛騨高山のお寺で瞑想合宿に参加した時はまさにカメムシが大量発生。

カメムシがブンブン飛び回る中での瞑想研修でした(笑)

瞑想という普段の意識の層とは違うところにいたからなのか、場も山の奥の奥、熊鈴が必要なお寺でしたので今思えば場の持つ力を感じられる体験でした。

部屋の方々に置いてあるペットボトルに吸い寄せられていくカメムシたちが印象に残っています。

*

生活の中で起きたことから気付いて自分の枠を整え直す

知らず知らずのうちに自分のキャパシティから溢れていたものを収める

余白を作る

日々の出来事はいつも必要なものを教えてくれます

そのことに快く気づけるような
ご自分で居られるためにセッションを役立てていただければと思います
 

日々訪れる最善の計らいを受け取れますように

朝晩冷えてきましたので温かくしてお過ごしください。

10月のスケジュール

タイトルを書いてもう10月なのかと改めて驚いていた

先週くらいまでは蒸し暑くてまだ袖のない服を着ていたはずなのに、半袖を通り越して長袖になってしまった。

夏の日差しで焼けてパサパサだった髪と肌が汗をかかなくなったら急にしっとりしてきた、と思ったら空気が乾燥しだしてセッションルームに加湿器はいるかどうかを考えている。

とにかく駆け足で帳尻合わせのように次の季節への引っ越しが行われている。

今年の夏は本当に暑かった。「危ないですね」と声を掛け合った。

だけれどもうそんな暑さのことは忘れていて、南瓜やにんじんの煮物に身体が喜ぶ。

 

自由とはなんだろう。

何でもない時に、音楽に身を委ねることができることなのかもしれない。

躰にあいた二つの穴からこの世界を覗く時

今朝、コーヒーを淹れるとフィルターの中の挽いた粉がなだらかな坂を作っていて、私はそういえばまだ砂丘を見たことがないけれど、こんな感じなのかしらと思うくらいに美しかった。

共に響きあう=共に生きる

ーテキストがない、動画や写真撮影もない、そもそも正解の設定がないー

あぐらを組んだり寝転んだり壁にもたれたり。参加者は楽な姿勢で、だが目は真剣に話を聞いている。

私もあぐらを組んだり、時にゆらゆら揺れたりしながらできるだけ疲れない姿勢でそこで出会う言葉、体験、空気を一瞬だって見逃したくない気持ちと、思考さっぱりオフにして空間に溶け込んでいたい気持ちが時々入れ替わりながらその風景の一部分であることを味わっていた。

探求者としての引き出しを棚卸しをする、そんな空間に9月の初めに八ヶ岳で3日間。


「身体とベクトル平衡体の共鳴テンセグリティ®︎による実験」

質問を何度かしようと思ったけれど、あえて黙って参加者の意見や講師の話を聞いていると自分の持ったはじめの質問が段々深まっていく。
自分が持った疑問の核の部分、その疑問を持つことで本当は何を知りたいのか、どこに結びつけたいのか。
帰った後にどんな資料を探そうか。
やがて、自分が何を大事にしたいのか、にたどり着く。

話を聞いているうちに、自分のテーマに関する気づきがパズルのようにハマっていくのを頭の後ろで感じていると、知らぬ間にぼやけていた視界のピントが合わさり、自分の輪郭がクリアにはっきりするという体験

 

出来上がったベクトル平衡体モデルを持っている
知らず知らずのうちにニコニコしている自分。

これが生き物としてのデフォルトの状態なのだ。

4mのテンセグリティドーム
重力からくる引き合う力と身体の張力の伸び縮みする力はすぐさま手を結び、ドームの中にいる自分の中に湧いてくるものは余計な感情や思考をくっつけないありのままのもの
ドームから出るとやがてまたかつての自分の思考の癖が見えてくる。眺める自分の意識は閑かーー

床に寝そべると、生命の大勢の中の一つのピースとしての自分の輪郭

ドームに一歩入った時の身体の中が沸き立つような至福状態もよいけれど、私は静かなこの感じで居たい。

 

ベクトル平衡体を使ったイールドのセッション

今年に学び始めたイールド。たとえ1日の講座でのショートなセッションであっても毎回課題が見つかる。

名古屋に帰ってきてセッションをしている時に今回はその課題への材料を見つけた。
捏ねて眺めて形にしていく。

夕食(とても美味しかった)の後、生徒が先生の周りに集まり話に耳を傾ける

縄文や先住民が主な土地の主として居住していた時代。
大切なことはこのように語られ伝えられていたのではないかな、とその時の光景を思い出す度に思う。

この3日間で感じたことを話したら、
「そんな状態にいることができたら、戦争も犯罪もなくなってしまう」
と鋭いコメントを頂いた。

整っている場では出っぱったり、凹んだりすることはなく

それぞれが補い合って、その意識すらなくて。

八ヶ岳で過ごした3日間は、調和という感覚そのものだったと思います。

「背骨はウソをつかない」

先日、ソマティック・エナジェティクスのグループセッションを受けに大阪へ。

ヨーガの実践者でカイロプラクティクスのドクターであるマイケル・マクブライド氏のホールドするセッション会場は、前日からグループセッションを行なっていたことも影響しているようで始まる前から大きなうねりと静けさに満ちていた。

こんな場をホールドする身体の中はどうなっているのだろう、身体の中を広げてみると大きな空間を感じた。

セッションはずっと目を瞑っていたので詳しいことはわからないが、数名のソマティックエナジェティックスのプラクティショナーの方たちと共にマイケルがベッドを移動しながらコンタクトしていたようです。

セッション中、何も考えていないし思い出してもいない。空間に共鳴して蛇口をひねったように目から鼻から出ていく感情を伴わない水分たち。

 

体勢を変える度に頭や身体が軽くなっていることに気づいた。

身体の中はマイケルやプラクティショナーの方に触れてもらう度にモードが変わったようにうねり方が変わっていく。
骨盤が前後に歩くような動きをしたり、うつ伏せの時に胸椎周りがどろっと溶けて脱力し左腕がくるんと裏返ったりと普段の身体に染み付いた癖が解けていく。

周りからは時折、歌うようにエネルギーを解放している声や嗚咽が聞こえてくる。

空間のうねりのモードが変わる度にまるで波のように身体の表面からじわじわ響いてくる。

こんな波が交差し響き合う場でプラクティショナーの方たちは飲まれることなくセッションを進めていく。なんてすごいなあと思う。

 

そうして場に溶けているのだろう。「場に馴染む」というのはその場のエネルギーを身体に迎え入れることとも思う。セッションが始まる前は目が合わなかった(波長が違っていた)、マイケルと目を合わせお互いに微笑んでこの場がFeel goodであることを伝えられた。

呼吸に意識が開いている時、思考は全く静かで穏やかに身体の実況をしてくれていて、身体を大きくはみ出てあらぬ方向に思考を羽ばたかせたりせずに、実況からすぐ隣にあるさりげない気づきへ促してくれる。

何箇所か背骨をカイロ的に矯正してもらい、身体の中も横隔膜を中心に大きく動いた実感があった。
空気を押し出すより吸い込むように声が出た。声量はないかもしれないがいい感じ。

セッション後の総仕上げにマイケルから
「今、マインドからハートへの旅をしているんだね。信頼して、呼吸して。」
とメッセージをもらった。

ちょうどセッション中の気付きやここ最近の散らばっていたテーマが集められ束ねてもらったかのようだった。
身体はしっかりそのテーマを宿して声を発していたのだということ、マイケルがそれをキャッチして私に伝えてくれたこと(そしてそこには「大丈夫」という応援も)を思うと胸が温かくなる。

そして
「君の背骨は十分に熟して準備ができていた」
と文字どおり背中を押してもらえた。

心身の統合、というテーマと向き合う中で初めは驚く不思議と思えるような体験や、師たちと出会わせてもらってきた。

そのうちそうそう体験には驚かなくなったり、出会いを必然と思えるようになった。

逆に驚くようになったのは、ずっと一緒に生きてきたと思っていた自分の中に新しい一面を見つけた時だ。

その度に新しい扉を見つけたように何かが動き出すことを繰り返している。

朝のプラクティスをヴィパサナ瞑想からアーナパーナ瞑想に変えた。
ヴィパサナのプラクティスでは身体の変化を観察していた。
アーナパーナをプラクティスすることで、思考を休ませることに具体的に踏み出してみようと思う。
思考はなくならないし悪でもない。いつかは必要とされ確かに守ってくれた過去があるかもしれない。
今は歩むプロセスの上で思考に対する比重は軽くなり、それにともなうケアが必要なのだろう。
集中力のトレーニングにもなり、過集中や注意力分散が改善したらいいなあという期待も添えて。

 

来週の月曜から静岡です。

セッションを受けてくださった方から
「身体の変化は内面の変化による結果だと気付きます。」
とコメントをいただきました。

ソマティカでも大きな柱である「身体と心のつながり」について。
もし「おや、これはもしや?」とご自分の体験の中にそんな片鱗を見つけられたら、ぜひ手に取りさらなる体験へとつなげていただけたらと思います。

許可をいただきシェアします。

7月のご予約

7月のご予約を承っております。

静岡のご予約について、早めにご連絡いただきましてありがたく思っています。

3月の春分の日に静岡から名古屋へ居を移し二拠点活動を始めました。

静岡のウソのように澄んだ青い空、のどかなゆとりと愛知のガツンと向き合うしなやかな強さを、身体の中に新しく感じる度にこのような循環の形があるのだと体験させていただいています。

自分にとって安心できる場、ちょうどよくしっくりくる心地よさの中で思いきり息をしていると今の自分にとって本当のことしか出てこない。

だれかやどこかの常識に自分を当てはめることがもうできずに、自分の呼吸と一歩一歩歩く自分の足の感覚を感じています。

カウンセリングを勉強した時にスキルだけ学びながらずっと気になっていたカールロジャーズの自己実現のプロセスに喫茶店で、つい掌で机を叩きたくなるほどボディワークも心理療法もたどり着くのはやっぱりここなのかと代わりに膝を打ちました。

『存在の自由』

神様や家族、尊敬する誰かに認めてもらうよりも、誰よりも自分で自分を認められるその道のり。

そうして自分で自分を認められた時、世界に迎え入れられる感覚が生まれてくる。

赤丸が静岡、青丸が名古屋のセッション日です。
お時間の枠はグーグルカレンダーをご覧ください。枠はあくまで目安ですので、お問い合わせいただきましたら前後にずらすことは可能です。

名古屋でのセッション

名古屋市内でクラニオセイクラルを中心にしたセッションを始めました 。

引越しは出産と同レベルのストレスを感じるライフイベント、といわれるのを見て(エビデンスは存じない)、いくら引越し慣れているとはいえまずは生活に慣れること、今受けてくださっているお客様第一に、と自分としては慎重に動いていました。

 


「自分を愛する」とはどういうことか。

自分にご褒美をあげたり、自己犠牲をせずに自分を尊重する。いろいろなことが昨今言われています。

自分のこころの声を聴こうとすると、欲求から歪んで生まれた声だったり、身体の中に居着いた誰かの声に耳を傾けてしまったことが私自身、自分を大事にしようと心がけてやってしまったことがありました。

自分の本心から出ている声はなかなか聴きとりづらい。

なのでカウンセリングなどでは本当の自分の望みを自分の中に潜って探す旅に出たりします。

「自分を愛する」ということの一つに 「自分の神経系のケアをする」という方法もあると思います。

こころの不機嫌とからだの不調はセットになりやすい。
ネガティブな考えが湧いて止まらない時は単にお腹が空いていただけだったり、やけに心が狭いと思ったら頭が痛かったり。
お腹を満たしたり頭痛をケアしてあげると、さっきまでのグルグルはなんだったんだろう、なんてことはよくあったりするもので、
神経系がクリアだと、不調と不機嫌の混ざっているところも見つけやすくなります。
そしてグルグルしている時には見つけられなかった光が降りてきたり、それまで問題と感じていたことが問題としなくてもよくなったり。

だんだん、自分の中がクリアになっていくと自分のご機嫌を自分で取ることもずっと楽になりますし、自分を確かに保てることは本当の意味での自己肯定感を育ててくれるとも感じます。

街の中は刺激がほんとうにたくさんあって、敏感に感覚を鈍らせて毎日の波を乗り切っている方が多いように感じます。
そして、クラニオセイクラルなどのような繊細なタッチを無意識のうちに、敏感にお身体でキャッチされる方も多くいらっしゃいます。

脳が休まり静かに自分の身体の中に戻ることは、明日へ踏み出す一歩を確かなものにしてくれます 。

場所は、地下鉄覚王山駅から徒歩5分。
タイマッサージサロン・changpinちゃんのご厚意でしばらく間借りさせていただくことになりました。

アーティストでもあるオーナーらしいレトロでキュートな空間です。

名古屋でのセッションはベッドセッションとカウンセリングを承ります。

咀嚼する日々

先日、名古屋にてイールドワークとひもトレ、韓氏意拳の講座に二日間参加してきました。

台風で交通は乱れ、外の慌ただしい様子が嘘のように穏やかに、ハプニングも流れの一つとして、調和の場を目の前で見せていただき、体験することができたことに新鮮な驚きと気づきがたくさんあり、言語化しないままにしばらくこの二日間を何度も反芻していた。

韓氏意拳、ひもトレ、そしてイールドワークに根底で繋がっている共通の認識は

「全てがある」ということだった。

身体には必要なこと全てが既にあり、ワークではそれをただ見つけていく。

私たちは日常の中で、つい何かが自分に足りていない「不足感」を抱えているような気がしている。
街に出て目にする社会の在り方には不足感を補うべく「もっと、もっと」と高みを目指し、前進し
必死にまるで「ここではないどこか」へ急き立てるような空気を感じてしまう。

飢餓感すら感じさせる焦燥感に飲まれる時、自分の身体や存在はまるで存在し「ない」かのように空虚なのではないか。

その地点から動く時、私たちは焦りと不安から起きていない問題をまるで「ある」かのように取り扱い、現実に表現してしまう。

しかし、必要なものは全て今この時点、ここに「ある」という視点に立った時、行動や思考の起点になるのはその全てが備わっている自分の身体だ。

そこに現れる行動や思考は、既に自分の中にあるものを拡げていく、差し出し表現していく、循環のアクションになる。

「ある」ものは社会の基準に合わせた数値で表すような能力というよりは、生き物としての生きる力といえるかもしれない。

韓氏意拳では型がない動きを自分の身体の感覚を感じきりながら動いていく。

少しでも思考のコントロールによって動かされた動作は動きが制限され、有機体としての身体の可能性を閉ざされてしまうのはもったいないと思う。

練習しながらふとした瞬間、思考から手放された身体の自然な軌道に乗った動きになった時、私は「私がない」状態になった。
演劇をしている方の感覚はこういうものかもしれないとその時思った。

前の話とは文字にすると逆行するのだが、身体の中が空洞になり、我の不在となった状態がとても心地よかった。

意思から放たれた身体は自由で、クリアで、清々しいものだった。

その動きができた時、私の脳は処理できずにあえていうならアハ体験をした時のように新しい回路が繋がった感覚がした。

身体が実は動けることを体験の上で知り、信頼できると本当の意味での自己肯定感が身についてくる。

私たちの身体は、なんて未知数な頼もしさを教えてくれるのだろう。

 

先日、長い間セッションをさせていただいている方からの卒業のメッセージをいただいた。
私の我は正直なところ寂しさを感じないわけではなかったが、その方はセッションを受けながらずっとご自分の身体を探求し、身体の内側を感じる目が回を重ねるごとに目覚めていくのを感じ、その方の進む道を応援したいと思う気持ちが湧いてきた。
セラピスト冥利に尽きることです。伝えてくださってありがとうございました。

みなさまにはセッションの後、どんどん身体を動かし、その可能性を見つけていく挑戦をぜひしてもらえたらと願います。

きっと新しい身体の可能性を見つけた時のアハ体験はキラキラと輝いているだろうから。