6月のスケジュール

一年に一度、日本にきたタイミングでメッセージをくれる友人がいます
昨夜、メッセージがきてもう1年経ったのだと思い出す
お互いに会いたいのだけれど、タイミング合わずにいつもメッセージでお互いの近況、身体や心について近頃思うことなどを送り合う

やりとりしながら思い出すのは、彼同様今はもうなかなか会うことのない人たちとの「筋膜」を介して出会った未知の数々への探究の日々
思い出の中では、実際そんな機会は少なかったはずなのにみんなで肩を組み顔を寄せ思いきり笑っている

それぞれの道で活躍している彼らの姿を時折見かけ、応援の気持ちを送りながらそっと襟を正す

次はフランスへ旅立つという友人に、日本にWuotai osteo danceという素晴らしいメソッドを橋渡ししてくれたお礼を伝えた

Wuotaiから出会った筋膜へのアプローチ、そこから次々と扉が開いて私はやっと自分自身と出会うことができ始めた

「こうあるべき」の正論や何かにならなくてはならない脅迫じみた観念の枠の外、
「ただここに居る」その静かな心地よさを自分にも人にも許すことができる

どうぞ、この先の道が穏やかなものであることを
笑顔を汲み交わす出会いの多きことを
あなたの歩いた後に新しい種が芽吹くことを
胸いっぱいの祈りと共にHave a great trip!を送る

6月のセッションスケジュールです
もう一年の半分
湿度に負けず、カラッと笑って過ごせますよう

うねうね上り調子

どこまでも突き抜けそうな青い空や、湿り気も過ぎずふわっと開いた肌と同じように何かの扉を抜けて新しい世界を見られるような気持ちに5月の風や陽の光の匂いはさせてくれる

それは今まで5月はそういう季節だと身体が覚えているパターンからかもしれない

育つ、成長する。その右肩上がりにまっすぐ直線的で筋肉質なイメージよりも、その一つ一つの工程の中にある上がったり下がったり、時には回り道と思えるような時を過ごしながら、自分の器を耕し深め拡げていくことでだんだん自分の世界の姿を創っていくことなのではないかなと思います

私もまっすぐ自分のしたいこと、適性のあることにコミットできていたらとその渦中で思わない訳ではありませんが、過ぎて振り返ってみるといつだって目の前に現れてくれた体験は自分に必要なものでした

私がこの触れる世界で出会った

タイマッサージ、Wuotai、クラニオセイクラル、オステオパシー、イールドワーク

どのタッチもそれぞれに素晴らしいもので私はたくさんのことを教わっています

その学びで導いてくれた先生方、仲間、お客様との交流は本当に豊かで、直接教わったこと受け取ったことの他に、私は知らず知らずのうちに受け取っていたものに再び出会ってはびっくりしたりしています

学びは繋がっていて、深まる度に私の中の点と点が線になる

線が段々色が出てきて円になり、それぞれの理解が深まりあっていく

出遇う度、触れる度に身体の芯の方がふるふるふるっと震えて温泉が湧き出るようです

どの学びも私自身がよりよく生きることに必要だったもので、よいものだからぜひ分かち合いたくて仕事にしてきました

これからもみゃくみゃく溢れ出る源泉をエネルギーに、できましたらわはわは笑い合う時間をたくさんに、触れるということをさせていただきたいと思っています

いつもこちらのソマティカのブログを読んでいただきありがとうございます

WhyからHowへ

どのように生きたいか、そんなことを考えたことはありますか?

以前、ソマティックエナジェティクスというハワイ在住のDr.マイケル・マクブライド(マイケルはカイロプラクティックの提供者であり、米ではカイロプラティックドクターとなります)が提供するセッションを受けた時に、

「君の背骨はもう熟していたよ。充分すぎるほどに」

というメッセージをもらいました。

そのメッセージをもらう更に数年前にも静岡市でオステオパシーのかなり初期の施術をする珍しい治療院があるとのことでお勧めしてもらったので受けに行った時に、そこのご高齢の眼光鋭いおじいちゃん先生に

「脱皮しなさい」

と言われた言葉が忘れられずにずっと意識のすぐ取り出せるところの端っこの方にぶら下げてありました。

正直なところ、ピンと来ていなかった私です。ずっと取り出しては?と首を傾げて眺めていたのだけれど、最近になってやっとやっとどう生きたいのか実践して行きなさい、自分の人生を踏み出しなさい、と言われていたのだと繋がったのでした。

私は瞑想や心理学を自分の生活に取り入れはじめた頃から、これまでの自分の人生を振り返りながら理解しようと努めてきました。
それは”Why”と理由を探し、理解したのちに解決するための”正解”を実践する道のりだったように思います。
教科書に載っていたり導師たちの教えを守り則った生き方をしようとしていた。
さらに私は勉強が好きだったので、好奇心をアンテナに本当に様々な道に分け入って学びながら材料を揃えていっていたのですが、どこか自分の乗っかるレールを模索していたようでもありました。
計画したルーティンと頭にインプットした「したいこと」「するべきこと」「自分だと設定した自己像」の隙間から漏れてにじみ出るたゆみを律していました。求めていた自由はそこに抽出されていたというのに。

私は自分の生きる道はどこかにあると思っていたのかもしれません

その道のりで学んできたことは今私の糧となっているし、どうしよう?を考えるときの足場になってくれていて、今では必要なプロセスだったのだと思います。

そのプロセスを経て”How”、どのように歩むか。その一歩のあり方を正解に照らし合わせて決めるのではなく、生きたいと肚に居て叫ぶ生命の声を聴きながら未知に踏み出す一歩。

自分の歩む道はどこかにあるのではなく、自分の足元に。

何かに依ることなく、自分の足元を掘り起こし縁ってこさえる。足は地面に根を張り頭と仰ぐ両手は天に伸びる。

そこから出遇う人や出来事はみな、わかる人にとっては当たり前に思えることでも未知の上にある中では奇跡のように思いますし、生命をこの身に宿し生きる私たち一人ひとりが、この未知のギフトに満ちた道を自ら創造し歩むことができるのだと思います。

Whyのトンネルのなかにいる時は暗く長いトンネルを進んでいるように感じることもあるかもしれません
トンネルから抜け出て、どのように生きていきたいのか、そのためにどうするのか”How”へ踏み出す時、
蛹から蝶になる、蛇が脱皮してひとまわり大きくなる

そのイメージは成熟するということに通じていくように思います。

オステオパシーを学んでいた時に先生がよく「施術での変化は小さくなった洋服を大きいちょうどよい服に着替えること」という表現をされていました。
身体、という器を広げゆとりを作りながら、自分を生きるという道のりが険しい獣道から少しずつ歩きやすいように草が減りゴツゴツした石が取り除かれ、土が平らに固まり歩むその先に、陽のあたる縁側が見えるといい。

5月のスケジュール

もう5月!

春の到来を喜んでいたら小雨続く名古屋です。
暑くも寒くもなく、少し時間の過ぎるのが延びそうなこんなお天気もよきですが、気圧の変化に体調が左右されることも。
気圧の変動による体調の変化は、体内の水の巡りに大きく関わるところがありそうです。


「自分の身の丈に合うこと」という曖昧だけれど割と日常を過ごす上で大事にしておくとよいこと。
できるから、ということが自分に合っている訳ではなく、できないから、身の丈にあっていないわけではない。
「もうできるから」このプロセスは自分にとっては終わっていることであったり、「まだできないから」そこに挑戦していくことが必要だったりするのではないかなと。
そこを思い違いして、挑戦することをやめてもう過ぎたところに安住しようとすれば滞りが生まれ、挑戦しただけでできた気になっていたら出会うはずだった何かとすれ違ってしまうように思います。

今、自分が立っている場と自分の感覚と。不安や期待、様々に生まれてくる感情やらあれこれは蓋をせずに見つつそばに置いておく。
その上で明るい光が必ずどこかに差しているのだから、そこに向けてパワーを注入していく。
できたら、何かが生まれ育ってゆけるような土と太陽とひろやかな空気が共にあるよう祈りながら。

そこでの身体のアンテナを信頼しています。
なんだか身体が反応して、それは警戒の動きだったり身体の周りに空間が生まれて呼吸が楽になる動きかもしれない。

そこに頭で考える理由はあまり当てにならないな、と思います。


「なんとなく」
それが力強い身体からのメッセージ

春から動き出したいろいろが新緑の力を借りてまた拡がり育ってゆかれますように。