まだ桜咲き始めの頃、東京のYeild練習会に参加してきました。
練習会でのセッション交換では講座で感じた自分の課題がより明確になり、それから生活の中での意識から段々見える景色が変わっていくのを感じながら自習しているような感覚で過ごしています。改めて没頭できる環境がありがたい。
そのセッションから肩甲骨の可動域がグッと広がり、今までと比べて左手の感覚が開き使いやすくなった感覚があります。
練習会後は韓国料理でランチをしながら似た領域、共通言語に新たな刺激と心強い安心感。
何気なしに差し出した言葉がすっと通じ、広がっていく会話は何よりの共感を生む。
その後、新宿御苑でのお花見にはYieldの師、田畑さんもいらっしゃり、
とても美味しいおしゃれスイーツと共にまた話に花が咲き、帰る時間が惜しく。
2月に参加したYieldの講座では学ぶものがとても多く、その咀嚼を2ヶ月が経った今でもしている。
「相手のスープの中で私が一緒に泳ぐことはできない」
「別々のスープの中にいるからこそ手を繋ぎ、支え合うことができる」
これは以前クラニオ仲間が教えてくれたクラニオバイオでの話。
講座初日に田畑さんの話を聞いていると、聞こえてくる話の裏側で何かが響き合い、パズルが合っていくような動きが私の脳内で起こって、この話が突然私の中で肚落ちした。
この時、田畑さんは特にこの話をしていたわけではないのだけれど、必要な学びが得られる場ではこういうことがよくある。
Wuotaiの師、ローランの話を聞いている時にも同じように私の中での答え合わせがどんどん進んで、私の身体は喜びに興奮し涙が出そうになったことが何度もあった。
Yieldの場でも怪しいかな、1人ニコニコしながらメモが止まらなかった。
根底に共通したテーマがある時、言外に場が共鳴しパズルが完成して一枚の絵になる。
そんな奇跡のような瞬間は、それまで森の中で試行錯誤していたことが報われるような、一瞬で目の前の霧が晴れるような体験だ。
その根底に共通したテーマが一枚の絵になる時、クラニオやWuotai、以前していたタイマッサージ などのジャンルの垣根の向こうで深まり、進むものが確かにある。
マットセッションでもベッドセッションでも、仕事でも日常でも、生きるということについての学びはアクションひとつひとつを最善最高に導いてくれる。
なんの気なしに高速バスで名古屋ー東京を移動してみたら、片道5時間半。
山々を眺めながらSAで地方のお土産を楽しみ、ボーッとし、本を読んで、うとうとして、とても贅沢な時間の過ごし方をさせてもらいました。
名古屋・静岡・東京の桜も楽しみ、3月末で閉店してしまった八重洲ブックセンターにも長年の感謝を込めてスライディングで赴くことができた、ちょっとした小旅行。
今夜から静岡に移動です。
静岡を離れて以後、ご理解いただきご予約いただけることありがたく思います。
そして、セッションのできる場を保ってもらえていること、重ねてありがたく感謝です。
セッション、楽しみにお待ちしています。