共に響きあう=共に生きる

ーテキストがない、動画や写真撮影もない、そもそも正解の設定がないー

あぐらを組んだり寝転んだり壁にもたれたり。参加者は楽な姿勢で、だが目は真剣に話を聞いている。

私もあぐらを組んだり、時にゆらゆら揺れたりしながらできるだけ疲れない姿勢でそこで出会う言葉、体験、空気を一瞬だって見逃したくない気持ちと、思考さっぱりオフにして空間に溶け込んでいたい気持ちが時々入れ替わりながらその風景の一部分であることを味わっていた。

探求者としての引き出しを棚卸しをする、そんな空間に9月の初めに八ヶ岳で3日間。


「身体とベクトル平衡体の共鳴テンセグリティ®︎による実験」

質問を何度かしようと思ったけれど、あえて黙って参加者の意見や講師の話を聞いていると自分の持ったはじめの質問が段々深まっていく。
自分が持った疑問の核の部分、その疑問を持つことで本当は何を知りたいのか、どこに結びつけたいのか。
帰った後にどんな資料を探そうか。
やがて、自分が何を大事にしたいのか、にたどり着く。

話を聞いているうちに、自分のテーマに関する気づきがパズルのようにハマっていくのを頭の後ろで感じていると、知らぬ間にぼやけていた視界のピントが合わさり、自分の輪郭がクリアにはっきりするという体験

 

出来上がったベクトル平衡体モデルを持っている
知らず知らずのうちにニコニコしている自分。

これが生き物としてのデフォルトの状態なのだ。

4mのテンセグリティドーム
重力からくる引き合う力と身体の張力の伸び縮みする力はすぐさま手を結び、ドームの中にいる自分の中に湧いてくるものは余計な感情や思考をくっつけないありのままのもの
ドームから出るとやがてまたかつての自分の思考の癖が見えてくる。眺める自分の意識は閑かーー

床に寝そべると、生命の大勢の中の一つのピースとしての自分の輪郭

ドームに一歩入った時の身体の中が沸き立つような至福状態もよいけれど、私は静かなこの感じで居たい。

 

ベクトル平衡体を使ったイールドのセッション

今年に学び始めたイールド。たとえ1日の講座でのショートなセッションであっても毎回課題が見つかる。

名古屋に帰ってきてセッションをしている時に今回はその課題への材料を見つけた。
捏ねて眺めて形にしていく。

夕食(とても美味しかった)の後、生徒が先生の周りに集まり話に耳を傾ける

縄文や先住民が主な土地の主として居住していた時代。
大切なことはこのように語られ伝えられていたのではないかな、とその時の光景を思い出す度に思う。

この3日間で感じたことを話したら、
「そんな状態にいることができたら、戦争も犯罪もなくなってしまう」
と鋭いコメントを頂いた。

整っている場では出っぱったり、凹んだりすることはなく

それぞれが補い合って、その意識すらなくて。

八ヶ岳で過ごした3日間は、調和という感覚そのものだったと思います。