昨年、私にとっての心地よさの感覚が「満ちる」から「静か」へと変わった。
その時のブログにも書いたのだけれど、この心地よさのままの自分で居ることがセッションになればいいのに、と思っていた。
「触れない施術」という選択肢が生まれたからこその「触れる」ことの神聖さが改めて感じられもしていた。
Yielding Embodiment® Orchestrationという身体技法があることを知り、今回そのトレーニングに参加することができた。
ブログのタイトルは提唱者で講師である田畑浩良さんの言葉。
複雑に考えようと思えばいくらでも掘っていけそうな興味深い感覚と理論、そしてレシーバーの存在に対し、ありのままにしなやかな自分で居る。
自分の腹に吹く風の動きを
流れる水の巡りを
抗わず、感じながら、気付いている
そうしたプラクティショナー(ギバー)の開かれた在り様に受け手(レシーバー)は安心しその場に委ね変容のプロセスを辿ることができる
心地よい人のそばにいると心地よくなっていく。
心地よいスペースと程よい距離感があることで人は安心して自分で在ることができる。
身体が深い休息に入りより自然な方へと反応し動き出していくその様子は確かにボディワークであり、身体と感覚の変化から行動や心のあり方が変わってくるのは確かに内発的ソマティックなアプローチだった。
他の参加者の方々の質問力の高さに感嘆しきり、うんうん頷いていると自分の疑問は少し後から答えがやってきたり、自分の中から湧いてくるのでそれが面白く取っておいた。
その日の自分のテーマになることもあり、これも場全体が共振して起きていたことだと思う。
委ねることで外からポンと何かがやってくる。
委ねることも循環の中にある一つのアクション。
今自分のいるレイヤーで認知できないものは存在しないことになっている。
他者(プラクティショナー)の介在により、自分の枠の外側にある心地よさの提示を受けられたことで、これからの自分の行動が変わるだろうという確信に近い気づき。
世の中にはたくさんのメソッドや講座、知識が溢れていて私たちセラピストの大事な材料となっている。
その材料を仕入れることも大切だけれど、その先にある「どう在りたいか」を探求していく段階を今は大切にしたい。
今回のお供に連れ立ってくれたトム・ブラウン・ジュニアの「グランドファーザー」も隙間時間にしっくり示唆を与えてくれた。
私たちボディワーカーは、見えないものを見ようとしなくなった現代で、理論や実践を足掛かりに原始に還ろうとしているのかもしれない。
節分から立春にかけてのトレーニングの中で自分の中がシンプルになっていくのを感じせっかくなら目標を、と書いてみると「目に見えないものをカタチにしていく」と出てきた。
次のトレーニングも楽しみです。
ありがとうございました。
帰ってきたら春のようなお天気に、よき🌸