日を見つめるは己の背も同じ様に

毎朝、瞑想を日課としています。

セルフメンテナンスとトレーニングを目的とした、その日その日の自分に合わせていくつかの瞑想法を組み合わせ、ストレッチ、呼吸法などを含めて1時間弱の短いものです。
近頃はストレッチングをしっかりしています。
知識としては知っていたのですが、体に硬いところがあると正しい姿勢も呼吸もできずに座っていることが辛くなってしまい瞑想の質がとても左右されることが体験として理解できたのです。
なるほど、瞑想にヨーガが必要とされる理由はこれなのだと。

組み合わせる瞑想法はその日の気分で変えますが、始まりはいつも脱力の瞑想から。
頭の先から足まで順を追って力を抜き、今の体の中を観察します。
その先で必要ならばケアをしトレーニングに移るのですが、毎日同じ場所・同じ時間に座っていても毎日違う体験がそこにあります。

同じ瞑想法であっても体が大気に溶け合って同化して行くような感覚を持つこともありますし、逆に外界を俯瞰している世界と距離をとった感覚の時もあります。
最近はトレーニングとして「音を聴く」瞑想をしています。
目を瞑り、周囲の音に耳を澄ませ、聴きづつけます。
継続して集中するということが難しいのですが、これがなかなか楽しいのです。
聴こえてくる音は風の音や鳥の鳴き声、話し声や車の音といった周囲の人間や生き物、自然の起こす生活の音。
それらに耳を澄ませ包まれていると、一人で座っているのだけれど一人ではない。
たくさんの音は動きから生まれ、全てが繋がり世界に参加している。そしてその音を聞いている私もその世界の一部である。
ゆったりとリラックスして開放的なそんな心持ちになるのです。

感覚に意識を向けていると、この場合聴覚ですが他の感覚も働き出し、私の場合は匂いが際立って感じられます。
きっとこの感覚を追いかけていくといけないのだろうとそれはさておき音を聴くことに意識を戻すのですが、脳内で感覚器官が連動していることを感じることができます。

瞑想や座禅をする際に「雑念」に捉われ苦戦することはよく聞きます。
ですが、雑念は追い払おうとすればするほどついてきて目の前に現れるものです。
それを追いかけて考え始めると瞑想ではなく「ただ座って考える時間」になってしまいます。
座ってひたすら考えても普段でさえ答えは出ていなくて未消化なものが雑念なのですから閉ざされた瞑想の時間に考え事をしても思考は肥大しぐるぐると同じところをめぐり疲れてしまいます。
しかし雑念は邪なものではなく、必要なものなのかもしれないという視点から見てみると雑念に対しての印象がまた変わってきます。
自分にとって必要なものだから頭から離れず集中の隙間に入り込んでくるのです。
まずは湧いてきた雑念の正体をしっかりと見ること。
そしてその雑念が湧いてくる自分と状況を見て「今自分はそれがとても気になっているのだ」と受け入れる。
正体がわからないから気になってしまうのです。
明らかに観てなるほど、と理解すればそれはもう気になってしまうことではなくなってきます。

そうすると湧いた雑念を流して、また集中状態に戻ることが自然とできるようになります。
これが瞑想の効果の副産物である「感情・思考の整理」に繋がるような気がしています。
雑念は言ってみれば今の自分に出されている「宿題」です。

瞑想の時間が終わったらその宿題に取り組むことです。

私の場合、今朝瞑想をしていてどうしても文章が湧いてよぎって頭の中で止まらなくなっていたのでこうしてアウトプットの作業で宿題を消化しています(笑)。

明日はJR静岡駅アスティテラス出店です。
15:00~20:00までを予定していますが時間に変更があるかもしれません。
Instagramの方でのお知らせになるかもしれませんので、お気にしてくださる方はそちらの方をご覧くださいませ。

SOMATTICA主人
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Total therapy salon SOMATTICA(トータルセラピーサロン ソマティカ)
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