10月のスケジュール

タイトルを書いてもう10月なのかと改めて驚いていた

先週くらいまでは蒸し暑くてまだ袖のない服を着ていたはずなのに、半袖を通り越して長袖になってしまった。

夏の日差しで焼けてパサパサだった髪と肌が汗をかかなくなったら急にしっとりしてきた、と思ったら空気が乾燥しだしてセッションルームに加湿器はいるかどうかを考えている。

とにかく駆け足で帳尻合わせのように次の季節への引っ越しが行われている。

今年の夏は本当に暑かった。「危ないですね」と声を掛け合った。

だけれどもうそんな暑さのことは忘れていて、南瓜やにんじんの煮物に身体が喜ぶ。

 

自由とはなんだろう。

何でもない時に、音楽に身を委ねることができることなのかもしれない。

躰にあいた二つの穴からこの世界を覗く時

今朝、コーヒーを淹れるとフィルターの中の挽いた粉がなだらかな坂を作っていて、私はそういえばまだ砂丘を見たことがないけれど、こんな感じなのかしらと思うくらいに美しかった。

共に響きあう=共に生きる

ーテキストがない、動画や写真撮影もない、そもそも正解の設定がないー

あぐらを組んだり寝転んだり壁にもたれたり。参加者は楽な姿勢で、だが目は真剣に話を聞いている。

私もあぐらを組んだり、時にゆらゆら揺れたりしながらできるだけ疲れない姿勢でそこで出会う言葉、体験、空気を一瞬だって見逃したくない気持ちと、思考さっぱりオフにして空間に溶け込んでいたい気持ちが時々入れ替わりながらその風景の一部分であることを味わっていた。

探求者としての引き出しを棚卸しをする、そんな空間に9月の初めに八ヶ岳で3日間。


「身体とベクトル平衡体の共鳴テンセグリティ®︎による実験」

質問を何度かしようと思ったけれど、あえて黙って参加者の意見や講師の話を聞いていると自分の持ったはじめの質問が段々深まっていく。
自分が持った疑問の核の部分、その疑問を持つことで本当は何を知りたいのか、どこに結びつけたいのか。
帰った後にどんな資料を探そうか。
やがて、自分が何を大事にしたいのか、にたどり着く。

話を聞いているうちに、自分のテーマに関する気づきがパズルのようにハマっていくのを頭の後ろで感じていると、知らぬ間にぼやけていた視界のピントが合わさり、自分の輪郭がクリアにはっきりするという体験

 

出来上がったベクトル平衡体モデルを持っている
知らず知らずのうちにニコニコしている自分。

これが生き物としてのデフォルトの状態なのだ。

4mのテンセグリティドーム
重力からくる引き合う力と身体の張力の伸び縮みする力はすぐさま手を結び、ドームの中にいる自分の中に湧いてくるものは余計な感情や思考をくっつけないありのままのもの
ドームから出るとやがてまたかつての自分の思考の癖が見えてくる。眺める自分の意識は閑かーー

床に寝そべると、生命の大勢の中の一つのピースとしての自分の輪郭

ドームに一歩入った時の身体の中が沸き立つような至福状態もよいけれど、私は静かなこの感じで居たい。

 

ベクトル平衡体を使ったイールドのセッション

今年に学び始めたイールド。たとえ1日の講座でのショートなセッションであっても毎回課題が見つかる。

名古屋に帰ってきてセッションをしている時に今回はその課題への材料を見つけた。
捏ねて眺めて形にしていく。

夕食(とても美味しかった)の後、生徒が先生の周りに集まり話に耳を傾ける

縄文や先住民が主な土地の主として居住していた時代。
大切なことはこのように語られ伝えられていたのではないかな、とその時の光景を思い出す度に思う。

この3日間で感じたことを話したら、
「そんな状態にいることができたら、戦争も犯罪もなくなってしまう」
と鋭いコメントを頂いた。

整っている場では出っぱったり、凹んだりすることはなく

それぞれが補い合って、その意識すらなくて。

八ヶ岳で過ごした3日間は、調和という感覚そのものだったと思います。

「背骨はウソをつかない」

先日、ソマティック・エナジェティクスのグループセッションを受けに大阪へ。

ヨーガの実践者でカイロプラクティクスのドクターであるマイケル・マクブライド氏のホールドするセッション会場は、前日からグループセッションを行なっていたことも影響しているようで始まる前から大きなうねりと静けさに満ちていた。

こんな場をホールドする身体の中はどうなっているのだろう、身体の中を広げてみると大きな空間を感じた。

セッションはずっと目を瞑っていたので詳しいことはわからないが、数名のソマティックエナジェティックスのプラクティショナーの方たちと共にマイケルがベッドを移動しながらコンタクトしていたようです。

セッション中、何も考えていないし思い出してもいない。空間に共鳴して蛇口をひねったように目から鼻から出ていく感情を伴わない水分たち。

 

体勢を変える度に頭や身体が軽くなっていることに気づいた。

身体の中はマイケルやプラクティショナーの方に触れてもらう度にモードが変わったようにうねり方が変わっていく。
骨盤が前後に歩くような動きをしたり、うつ伏せの時に胸椎周りがどろっと溶けて脱力し左腕がくるんと裏返ったりと普段の身体に染み付いた癖が解けていく。

周りからは時折、歌うようにエネルギーを解放している声や嗚咽が聞こえてくる。

空間のうねりのモードが変わる度にまるで波のように身体の表面からじわじわ響いてくる。

こんな波が交差し響き合う場でプラクティショナーの方たちは飲まれることなくセッションを進めていく。なんてすごいなあと思う。

 

そうして場に溶けているのだろう。「場に馴染む」というのはその場のエネルギーを身体に迎え入れることとも思う。セッションが始まる前は目が合わなかった(波長が違っていた)、マイケルと目を合わせお互いに微笑んでこの場がFeel goodであることを伝えられた。

呼吸に意識が開いている時、思考は全く静かで穏やかに身体の実況をしてくれていて、身体を大きくはみ出てあらぬ方向に思考を羽ばたかせたりせずに、実況からすぐ隣にあるさりげない気づきへ促してくれる。

何箇所か背骨をカイロ的に矯正してもらい、身体の中も横隔膜を中心に大きく動いた実感があった。
空気を押し出すより吸い込むように声が出た。声量はないかもしれないがいい感じ。

セッション後の総仕上げにマイケルから
「今、マインドからハートへの旅をしているんだね。信頼して、呼吸して。」
とメッセージをもらった。

ちょうどセッション中の気付きやここ最近の散らばっていたテーマが集められ束ねてもらったかのようだった。
身体はしっかりそのテーマを宿して声を発していたのだということ、マイケルがそれをキャッチして私に伝えてくれたこと(そしてそこには「大丈夫」という応援も)を思うと胸が温かくなる。

そして
「君の背骨は十分に熟して準備ができていた」
と文字どおり背中を押してもらえた。

心身の統合、というテーマと向き合う中で初めは驚く不思議と思えるような体験や、師たちと出会わせてもらってきた。

そのうちそうそう体験には驚かなくなったり、出会いを必然と思えるようになった。

逆に驚くようになったのは、ずっと一緒に生きてきたと思っていた自分の中に新しい一面を見つけた時だ。

その度に新しい扉を見つけたように何かが動き出すことを繰り返している。

朝のプラクティスをヴィパサナ瞑想からアーナパーナ瞑想に変えた。
ヴィパサナのプラクティスでは身体の変化を観察していた。
アーナパーナをプラクティスすることで、思考を休ませることに具体的に踏み出してみようと思う。
思考はなくならないし悪でもない。いつかは必要とされ確かに守ってくれた過去があるかもしれない。
今は歩むプロセスの上で思考に対する比重は軽くなり、それにともなうケアが必要なのだろう。
集中力のトレーニングにもなり、過集中や注意力分散が改善したらいいなあという期待も添えて。

 

来週の月曜から静岡です。

セッションを受けてくださった方から
「身体の変化は内面の変化による結果だと気付きます。」
とコメントをいただきました。

ソマティカでも大きな柱である「身体と心のつながり」について。
もし「おや、これはもしや?」とご自分の体験の中にそんな片鱗を見つけられたら、ぜひ手に取りさらなる体験へとつなげていただけたらと思います。

許可をいただきシェアします。

7月のご予約

7月のご予約を承っております。

静岡のご予約について、早めにご連絡いただきましてありがたく思っています。

3月の春分の日に静岡から名古屋へ居を移し二拠点活動を始めました。

静岡のウソのように澄んだ青い空、のどかなゆとりと愛知のガツンと向き合うしなやかな強さを、身体の中に新しく感じる度にこのような循環の形があるのだと体験させていただいています。

自分にとって安心できる場、ちょうどよくしっくりくる心地よさの中で思いきり息をしていると今の自分にとって本当のことしか出てこない。

だれかやどこかの常識に自分を当てはめることがもうできずに、自分の呼吸と一歩一歩歩く自分の足の感覚を感じています。

カウンセリングを勉強した時にスキルだけ学びながらずっと気になっていたカールロジャーズの自己実現のプロセスに喫茶店で、つい掌で机を叩きたくなるほどボディワークも心理療法もたどり着くのはやっぱりここなのかと代わりに膝を打ちました。

『存在の自由』

神様や家族、尊敬する誰かに認めてもらうよりも、誰よりも自分で自分を認められるその道のり。

そうして自分で自分を認められた時、世界に迎え入れられる感覚が生まれてくる。

赤丸が静岡、青丸が名古屋のセッション日です。
お時間の枠はグーグルカレンダーをご覧ください。枠はあくまで目安ですので、お問い合わせいただきましたら前後にずらすことは可能です。

名古屋でのセッション

名古屋市内でクラニオセイクラルを中心にしたセッションを始めました 。

引越しは出産と同レベルのストレスを感じるライフイベント、といわれるのを見て(エビデンスは存じない)、いくら引越し慣れているとはいえまずは生活に慣れること、今受けてくださっているお客様第一に、と自分としては慎重に動いていました。

 


「自分を愛する」とはどういうことか。

自分にご褒美をあげたり、自己犠牲をせずに自分を尊重する。いろいろなことが昨今言われています。

自分のこころの声を聴こうとすると、欲求から歪んで生まれた声だったり、身体の中に居着いた誰かの声に耳を傾けてしまったことが私自身、自分を大事にしようと心がけてやってしまったことがありました。

自分の本心から出ている声はなかなか聴きとりづらい。

なのでカウンセリングなどでは本当の自分の望みを自分の中に潜って探す旅に出たりします。

「自分を愛する」ということの一つに 「自分の神経系のケアをする」という方法もあると思います。

こころの不機嫌とからだの不調はセットになりやすい。
ネガティブな考えが湧いて止まらない時は単にお腹が空いていただけだったり、やけに心が狭いと思ったら頭が痛かったり。
お腹を満たしたり頭痛をケアしてあげると、さっきまでのグルグルはなんだったんだろう、なんてことはよくあったりするもので、
神経系がクリアだと、不調と不機嫌の混ざっているところも見つけやすくなります。
そしてグルグルしている時には見つけられなかった光が降りてきたり、それまで問題と感じていたことが問題としなくてもよくなったり。

だんだん、自分の中がクリアになっていくと自分のご機嫌を自分で取ることもずっと楽になりますし、自分を確かに保てることは本当の意味での自己肯定感を育ててくれるとも感じます。

街の中は刺激がほんとうにたくさんあって、敏感に感覚を鈍らせて毎日の波を乗り切っている方が多いように感じます。
そして、クラニオセイクラルなどのような繊細なタッチを無意識のうちに、敏感にお身体でキャッチされる方も多くいらっしゃいます。

脳が休まり静かに自分の身体の中に戻ることは、明日へ踏み出す一歩を確かなものにしてくれます 。

場所は、地下鉄覚王山駅から徒歩5分。
タイマッサージサロン・changpinちゃんのご厚意でしばらく間借りさせていただくことになりました。

アーティストでもあるオーナーらしいレトロでキュートな空間です。

名古屋でのセッションはベッドセッションとカウンセリングを承ります。

咀嚼する日々

先日、名古屋にてイールドワークとひもトレ、韓氏意拳の講座に二日間参加してきました。

台風で交通は乱れ、外の慌ただしい様子が嘘のように穏やかに、ハプニングも流れの一つとして、調和の場を目の前で見せていただき、体験することができたことに新鮮な驚きと気づきがたくさんあり、言語化しないままにしばらくこの二日間を何度も反芻していた。

韓氏意拳、ひもトレ、そしてイールドワークに根底で繋がっている共通の認識は

「全てがある」ということだった。

身体には必要なこと全てが既にあり、ワークではそれをただ見つけていく。

私たちは日常の中で、つい何かが自分に足りていない「不足感」を抱えているような気がしている。
街に出て目にする社会の在り方には不足感を補うべく「もっと、もっと」と高みを目指し、前進し
必死にまるで「ここではないどこか」へ急き立てるような空気を感じてしまう。

飢餓感すら感じさせる焦燥感に飲まれる時、自分の身体や存在はまるで存在し「ない」かのように空虚なのではないか。

その地点から動く時、私たちは焦りと不安から起きていない問題をまるで「ある」かのように取り扱い、現実に表現してしまう。

しかし、必要なものは全て今この時点、ここに「ある」という視点に立った時、行動や思考の起点になるのはその全てが備わっている自分の身体だ。

そこに現れる行動や思考は、既に自分の中にあるものを拡げていく、差し出し表現していく、循環のアクションになる。

「ある」ものは社会の基準に合わせた数値で表すような能力というよりは、生き物としての生きる力といえるかもしれない。

韓氏意拳では型がない動きを自分の身体の感覚を感じきりながら動いていく。

少しでも思考のコントロールによって動かされた動作は動きが制限され、有機体としての身体の可能性を閉ざされてしまうのはもったいないと思う。

練習しながらふとした瞬間、思考から手放された身体の自然な軌道に乗った動きになった時、私は「私がない」状態になった。
演劇をしている方の感覚はこういうものかもしれないとその時思った。

前の話とは文字にすると逆行するのだが、身体の中が空洞になり、我の不在となった状態がとても心地よかった。

意思から放たれた身体は自由で、クリアで、清々しいものだった。

その動きができた時、私の脳は処理できずにあえていうならアハ体験をした時のように新しい回路が繋がった感覚がした。

身体が実は動けることを体験の上で知り、信頼できると本当の意味での自己肯定感が身についてくる。

私たちの身体は、なんて未知数な頼もしさを教えてくれるのだろう。

 

先日、長い間セッションをさせていただいている方からの卒業のメッセージをいただいた。
私の我は正直なところ寂しさを感じないわけではなかったが、その方はセッションを受けながらずっとご自分の身体を探求し、身体の内側を感じる目が回を重ねるごとに目覚めていくのを感じ、その方の進む道を応援したいと思う気持ちが湧いてきた。
セラピスト冥利に尽きることです。伝えてくださってありがとうございました。

みなさまにはセッションの後、どんどん身体を動かし、その可能性を見つけていく挑戦をぜひしてもらえたらと願います。

きっと新しい身体の可能性を見つけた時のアハ体験はキラキラと輝いているだろうから。

モニターセッションのご感想

モニターベッドセッションのご感想をいただきました*

クラニオセイクラルをメインとしたベッドセッション

身体の中では何が起こっているのか 不思議な感覚に、説明を重ねたくなってしまうけれど
シンプルスパッとしていくとそういうことなのだと思います

普段、氣内臓セラピーをセラピストとして提供されている モニターさん

お顔もはっきりきっぱり出してOKをいただき
口頭でも身体やエネルギーの流れる感覚などを伝えてくださいました    

ありがとうございます   

 

「施術後、前重心だったのが しっかり後ろにも重心がいくようになり

姿勢が良くなり身体が整った感じがします

普段から身体の筋肉を フラットの状態にしたいと思っているので

まっすぐに立った時 ひっぱられる事がなくなりました

この時期、自律神経も乱れがちですが そんな事もなく 元氣に過ごせています」

   

 

  セッションを受ける2日前に 階段で転倒したとのことで 動きが制限されてしまっていた肩と首

「人ってピンチの時に色んな脳内ホルモン出るんだなって経験しました!」

とどんな時でも心身にフォーカスしてしまうのは セラピストあるあるですね

セッション後「動きます!」と 頭をふりふりされていたのが印象的でした  

構造的な変化は 右肩上がりの改善にばかりでなく
それまで固着し繰り返しになっていたパターンが変わることにも大切に気付いていきたい  

その変化は 生命がありのままに、この世界と関わろうと枠の外へ泳ぎでた最善の動きに思えます  

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モニター・メニュー/60分  ・初回3,000円 ・2回目〜5,000円
<条件>匿名でお顔の出ない範囲の施術前後の写真、ご感想の提出・ブログ・SNS掲載させていただける方

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一人一人によりよく生きる力が十分にあると信頼し、手を添わせて空間を繋ぎ見守る  

いま登っているのはこの山で、それにはセラピスト自身としていまここの体験にどれだけ開いていられるか

安心の感覚を持っているか

噛みごたえあり

まだ桜咲き始めの頃、東京のYeild練習会に参加してきました。

 

練習会でのセッション交換では講座で感じた自分の課題がより明確になり、それから生活の中での意識から段々見える景色が変わっていくのを感じながら自習しているような感覚で過ごしています。改めて没頭できる環境がありがたい。
そのセッションから肩甲骨の可動域がグッと広がり、今までと比べて左手の感覚が開き使いやすくなった感覚があります。

 

練習会後は韓国料理でランチをしながら似た領域、共通言語に新たな刺激と心強い安心感。
何気なしに差し出した言葉がすっと通じ、広がっていく会話は何よりの共感を生む。

 

その後、新宿御苑でのお花見にはYieldの師、田畑さんもいらっしゃり、
とても美味しいおしゃれスイーツと共にまた話に花が咲き、帰る時間が惜しく。

 

2月に参加したYieldの講座では学ぶものがとても多く、その咀嚼を2ヶ月が経った今でもしている。

 

「相手のスープの中で私が一緒に泳ぐことはできない」
「別々のスープの中にいるからこそ手を繋ぎ、支え合うことができる」

 

これは以前クラニオ仲間が教えてくれたクラニオバイオでの話。

 

講座初日に田畑さんの話を聞いていると、聞こえてくる話の裏側で何かが響き合い、パズルが合っていくような動きが私の脳内で起こって、この話が突然私の中で肚落ちした。

この時、田畑さんは特にこの話をしていたわけではないのだけれど、必要な学びが得られる場ではこういうことがよくある。

Wuotaiの師、ローランの話を聞いている時にも同じように私の中での答え合わせがどんどん進んで、私の身体は喜びに興奮し涙が出そうになったことが何度もあった。

Yieldの場でも怪しいかな、1人ニコニコしながらメモが止まらなかった。

 

根底に共通したテーマがある時、言外に場が共鳴しパズルが完成して一枚の絵になる。
そんな奇跡のような瞬間は、それまで森の中で試行錯誤していたことが報われるような、一瞬で目の前の霧が晴れるような体験だ。

その根底に共通したテーマが一枚の絵になる時、クラニオやWuotai、以前していたタイマッサージ などのジャンルの垣根の向こうで深まり、進むものが確かにある。

 

マットセッションでもベッドセッションでも、仕事でも日常でも、生きるということについての学びはアクションひとつひとつを最善最高に導いてくれる。

 

なんの気なしに高速バスで名古屋ー東京を移動してみたら、片道5時間半。
山々を眺めながらSAで地方のお土産を楽しみ、ボーッとし、本を読んで、うとうとして、とても贅沢な時間の過ごし方をさせてもらいました。
名古屋・静岡・東京の桜も楽しみ、3月末で閉店してしまった八重洲ブックセンターにも長年の感謝を込めてスライディングで赴くことができた、ちょっとした小旅行。

 

今夜から静岡に移動です。
静岡を離れて以後、ご理解いただきご予約いただけることありがたく思います。
そして、セッションのできる場を保ってもらえていること、重ねてありがたく感謝です。

セッション、楽しみにお待ちしています。

花って放って

春分の日にえいやっと静岡と名古屋の二拠点活動を始めました。

せっかくの節目。仕事場にも各部屋にもありがとうと言い、これかもまたよろしくと言って出発。

引越し一つ、人が1人移動するにも、手伝ってくださったり応援してくださった方々の手を取りありがたく。
1人じゃ何にもできないんだなと胸を温かくしています。

巷では春分の日から続く3日程がとても大きな節目の日とされていて、私自身も何かが切り替わるようで同時にまっさらな自分を感じるような日が続いていました。普段のルーティンの中では隠れてしまっていた奥にある自分の姿がふとした拍子に見えるような。

こんな節目の日には新しい目標を立てるといい、引き寄せたいものを願うといいという文言をよく見かけて改めて考えてみた。
と言いながら冬至から春分にかけては、新旧暦の新年に始まりたくさんの節目があってその度に考えてみているので頭で考える目標やなりたい自分はたくさんある。そこからカーテンをめくった奥にある一貫したテーマもみたいところ。

何を引き寄せたいか、ということも大事だけれど、引き寄せられるものは望むものが今在る器のサイズに再構築されたものだと感じる。

「どう在りたいか」を明確に、その上でしっかり望みたい。

自分の今いる世界との間をその在り方とで繋いでいられるように。

 

そして同時にこうした頭で掲げた在り方と実際に自分の何が変わったのか、行動をみるのがまた面白い。
情報や示唆が多い環境の中では気づきは過ぎるほどに生まれる。
では気づいた後、自分の行動の何が変わっているのか。
気づきに花が咲き、実になる時。なんだかふわっと微笑ましくて、子供はこんなふうに育っているのだろうかと思う。

名古屋で出張セッション。4年ぶりに受けてくださった方が
「よりマニアックになって・・・」とほくほく伝えてくださいました。
そうなんですよ、わかります?とこちらもほくほく。

3/30.31.4/1は静岡のセッションDAY。
それぞれにまだご予約枠は少しずつありますので、気になられている方はご連絡ください。


花曇りの続くこの季節、なんだか自分では思っているより動きに制限がかかりやすくなっている方もいらっしゃるかもしれませんね。思いっきり動くことをご自分に許可されてみては?

4月のセッションスケジュール

玄関を一歩出ると花の香りが溢れて、散歩する足取りもふうわりふわり
やらなければならないあれこれに足を踏ん張りながらもどこか肩の力が抜けている、胸がぽんと弾むことにアンテナが事細かに反応する
そんな季節。

4月のセッションスケジュールをアップしました。3月のカレンダーの空き状況も更新していますのでご確認ください。

4月以降の名古屋でのセッションについてはご案内させていただきますのでお問い合わせいただきましたら。

 

 

魂の容れ物としての大事な器である身体を世界を捉える窓口として、さらに深く探求していく環境を整えるために二拠点活動をさせていただくことにいたしました。

 

二拠点でセラピスト活動をしていくことに際し、静岡でのセッションの日を限らせていただくため定期的に通われている方にお一人お一人とソマティカとの「これから」をお話させていただいています。
みなさまとのご希望を伺いできる限り何かがこぼれ落ちることがないようにさせていただこうとしています。


通ってくださる方の中には長い方では開業当初からご縁をいただいている方、さらには名古屋時代からご縁を繋いでくださっている方、ご縁長く触れさせていただいていることにありがたく思っています。
その月日の中で重ねたセッションと対話の分厚さに、信頼し歩を進めることを改めて背中を押していただけているようで、今回そのような機会をいただけていることに改めてありがたく感じているこの頃です。

ご不便をおかけする方には心苦しく思いますが、セッションでお返しできますよう励みたいと思いますのでぜひ楽しみにされていていただければなと思います。

 

ーご自分を満たし労る時間ー

ー整え自分の中心の静かなところへ戻っていく時間ー

 

そんな時間を過ごせる空間にてこれからも、よろしくお願いいたします。