変化の時、生命の力強い息吹を感じる時期
ご自身の進みたい方向へ
身体と心の向く方向を確かめることにも、
深い休息を得ることは有用かと思います。
その機会にセッションをご活用ください
4月のセッションのご予約を承っております
この春で静岡と名古屋の二拠点活動を始めて1年が過ぎました
あたたかく関わり応援してくださった方々のおかげだと思っています
ありがとうございます

今ここの、素直な自分に再び出会う
昨年、まだ夏の日差しの気配の濃い9月のはじめに、八ヶ岳の麓で発酵真菰(まこも)風呂に入る機会に恵まれました。数ヶ月追い焚きを続け発酵した湯船は真っ黒。
こわごわ浸かってみると、たちまち身体中の筋膜がゆるっとゆるまり、思考は止まり湯船に浮かぶはただいい塩梅ただそれのみ。
それは濃い温泉の源泉に浸かったような、丁寧に醸された藍の甕の中に布と一緒に手も染まるまで浸していた時のような、そんなほぐれを忘れがたく思っていました。
静岡でのセッションメニューに新しく「真菰(まこも)蒸し」が加わります
縄文時代から日本に生息するとされる真菰は、古くからお歯黒や眉墨の墨の原料として日常の中で肌につけるものとして愛用され、また「神、宿る草」として出雲大社のしめ縄に使われるなど、日本人の暮らしの中、精神性の中と深く関わってきた植物です。
真菰の持つ枯草菌の一種であるマコモ菌は強力な浄化力と生物の免疫力を高める力を持つとされます。
私たちの普段自分だと認識している身体は、目に見ることのできる皮膚に包まれたボディ単体を示すわけではありません。
エネルギーの面からでもバイオロジカルの面からでもいくつもの層を成しています。
その中で日常的に認識しやすく関わりやすい、そしてダイレクトに体調に関係してくるのが微生物たちの存在のように思います。
私たちの身体には100兆個を超える数の微生物が常在菌として存在していて、これは人の細胞の約37兆個よりも多いとされています。
私たちは菌と共に生命を営んでいると言えます。
その菌たちが今日もご機嫌であるといいなと想いながら菌活を暮らしに取り入れていると、体調を崩した時は台所に見かけないカビがあったりなんだか空気がザラザラしているように感じたりすることに気付きます。
元気に心が静かな時、空間は穏やかに光も優しく入ってくるように感じるのは菌たちの働きによるものでもあります。
真菰蒸しをいろいろな材料、環境で実験してみました。
自らを実験台として喜んで身体を捧げていたのですが、蒸したその日から翌日は鼻歌を歌いながら時には踊りながら動き回っている私がいました
健やかさ、ということを考える時
身体に取り入れたものを咀嚼し吸収する消化力と、不要なものは排出することのできる「入れる、出す」のバランスと、
決して痛みをなかったことにしない病気にならないタフネスな強さ、というよりも
怪我や病気をリセットするきっかけにできる柔軟さに健やかさは宿るように思います
心地よい菌を纏うこと
それは身の周りの空間を心地のよい親しいものに
柔らかな光を纏うようなことのように思います
真菰蒸しは30分のハーブテント、ハーブティを飲みながらゆっくり休憩の30分を1セットの組み合わせです。
身体を芯から温めながら真菰菌をご機嫌菌として迎え入れられてみてください。
真菰蒸しをした後に、真菰菌の優しい空間の中でのクラニオなどのソマティックなセッションもおすすめです。
3月もよろしくお願いいたします
春うららな身体づくり、身体も陽気に
生命力溢れる季節がやってきますね
気温差は激しいですが、冷たい風の匂いに時折春の香りが微かに垣間感じるこの頃。
2月もセッションにてお会いできるのを楽しみにしています。
共鳴テンセグリティ®︎32本タイプを拝借して味変実験。
プーアール茶は渋みがまろやかに、コーヒーは酸味が軽くなったように感じます。
岐阜のお土産でいただいた登り鮎は身を3つにわけて3段階で試行。
どの部位も美味しかったです。
セッションでは喘息傾向のある方の咳が収まりました。すっきりした、との一言をいただきました。
名古屋にてイールド紹介WS「「間」とゆだねる動き(イールド)」に参加してきました
イールドを学び始めてからボディワーカーとして、セラピストとしての自分の在り方の探求の日々の中(これは綺麗な例えでなく、本当に千本ノックのような毎日!)にある私にとって、講座への参加は自分の変化を確認できるアウトプットの場でもあります。
一人ひとりがそれぞれのしっくり落ち着く立ち位置を部屋の中に見つけて佇む全体の景色は、空間全体が落ち着いた自然そのもの。
眺めているとこうしよう、ああしようと目を向けるよりもただ感じていることで生まれてくる流れや立ち上がっていく場。
夕陽に照らされ佇む中で、年末から自分自身の膝の怪我にまつわるドタバタと元旦の地震が響いていた、身体の逃走/闘争モードの警戒体勢からやっと自分を解いて寛がせることができました。
意識の上では、緊急事態に対しての警戒モードや地震のトラウマ反応(皆さんもこれまでの震災などで、そういったニュースや映像を繰り返しみることで、気持ちが塞いだり冷静に居られなくなるという反応をされる方も多いかと思います)が自分自身でも起きていることを感じながら寄り添っているつもりではいましたが、無意識下の身体はしっかりその警戒を残したままでした。
自分の身体に寛いで眺める夕陽は、初めて参加したイールドの師・田畑さんのところでの実習の一片を思い出させてくれました。
その時は受け手の方に背を向けて、下からお腹を抱えるように手を充てながら窓から覗く夕陽の気配を眺めていたプラクティショナー役の時の、お互いが生命を見守るような厳かで寛容な忘れられない景色です。
イールドは身体技法ですが、同時に在り方の探求の方法でもあります。
それはクラニオでもウータイでも表面の手法は異なれど、深いところではつながっているように感じます。
どのセッション、メソッドでもプラクティショナー(実践者)とレシーバー(受け手)が心地よくリラックスして今この場に寛ぎゆだねること。
ゆだねる、というのは頭で考えてするよりもずっと自分の中に集中することが鍵なのではないかな、と思います。
私たちは本当は寛ぐ、ゆだねる感覚を本来身体に持っています。
卵子が受精し子宮内に着床するそんな生命の始まりの時から、その場に委ねるということをしているのですから。
セッションの中、生活の中のふとした瞬間をその感覚を思い出すきっかけにしていただけたらと思います。
自分に集中する方の立ち姿は美しいですね。
この講座で改めて感じました。
セッションの後にもご自身の輪郭がはっきりして存在感が増す方もいらっしゃいます。
この日はとても美しい光景に何度も出会いました。
講師の先輩イールダーでありロルファーでも僧侶でもある鎌池さん、ピラティス講師の小川さん。
心地の良い学びの空間をありがとうございました。
楽しくて満ちていて、写真を撮るのをまた忘れました。
昨日、名古屋では雪が降りました。
雪を浴び続けると濡れる、ということ。
傘を持つのを忘れがちなのは雪なし国育ちのあるあるかもしれません。
はしゃぎすぎて夕方にはくったり。
まだもう少し合言葉は「あったかいは正義!」
年末年始のお休みの間に、おうちで映画「ライフ・オブ・パイ」を観ました。
インドの少年がトラと太平洋を227日間漂流する物語です。
トラも、少年の瞳も、海も空もきれいでした。
変化が続く毎日の中では、日々を泳いでいるよう。
今年もみなさまという船と行き交えること、楽しみにしております。
中川は年末に膝を怪我しまして、こんな大事な時に!と思いましたが周りの人たちのお陰で、ピンチをチャンスに変えることができました。
その時に見つけたセッションの新しい扉の鍵は「集中力」。シンプルに腰を落として仙骨で根を張って。しなやかに居られるように。
今年の抱負にしたいと思います。
今年もよろしくお願いいたします。
28日、年末年始に読む本を図書館でしこたま借りて、そばのカフェでこれを書いています。
みなさまにとって今年はどんな一年でしたでしょうか。
計画通り!という方も、いつもと変わらない例年通りと少しぼんやりな気持ちの方もいらっしゃるかもしれません。
昨年の今頃、私は大海原を前にしてその波打ち際にやっとたどり着いたような気持ちになっていました。
この目の前の大海へこれから飛び込んで思い切り泳ぐことに気持ちを大きく膨らませていました。
初めての海の中で今までと違った泳ぎ方で進んでいく真っ只中にあると、もしかしたら自分はもがいているだけで泳いでいるなんて考えられない時もあるかもしれません。
思い切り泳いで、疲れたら手足を動かすのをやめて海面にぽっかり浮かんで流れる雲を眺めていました。そしてまた泳いでみる。ゆっくりだったり思いっきりだったり。ただ途切れずにそこで息をして、居続ける。
それは生活をしていた、生きていたということだなあと思います。
静岡と名古屋を月に2回行ったり来たりしながらセッションをさせていただきました。
どこに身を置いても身体があり、心があり、関わりがありました。
毎日の呼吸の中にsoma(生きている身体)への気づきがありました。
カウンセリングや心理療法の有用性を高めるための身体の器を広げ育てていく身体づくりとしてのボディワーク、という視座をクライアントさんからいただきました。
とてもとてもありがたいことだと思います。
実は23日に膝を捻ってしまいました。
まだまだある仕事も再振り分け、周りの方々や絶妙な加減で現れる采配に助けてもらい予想外のところから年末のギフトをいただいたようでした。
これからも身体をやっていこう。
今年も一年触れさせていただきましてありがとうございました。
新しい年もみなさまに心地よい光がたくさん降り注ぎますように!
2024年1月のセッションスケジュールです。
2023.12.28 SOMATTICA 店主 中川
12月のセッションスケジュール
静岡セッションの曜日が木・金・土曜になります。
春に二拠点活動を始めさせていただいて、変わらずセッションのリクエストをいただけること、心より感謝申し上げます。
その人がその人らしくいられるように、正しさを押しつけず、その人の中にその人らしくいられない何かがあるとしたら、その何かがあってもなくても大丈夫なのだと感じる体験を経ていく様を、そばで丈夫に見守ることができますように。
つらい急性な痛みなどに対処は必要ですがその成果のゴールはスタートであり、その身体で生きる生活はその先もずっと続きます。
小休止はあっても私たちはずっとプロセスの中を歩み続けていきます。
みなさまの花が咲き、萎んだ花から実がなる繰り返しの今ココを、未熟ながら見守らせていただけましたら嬉しく思います。
暖かくなったり急に冷えたり。その時々のご自分の身体と心へのちょうどよい心地よさを選択なさってください。
日々訪れる最善の計らいを受け取られますように!
静岡と名古屋を行ったり来たりの二拠点活動。
おかげさまで春にはじめてから半年が過ぎました。
どうなっていくのかわからないまま始めた二拠点生活。
移動をするということでその先で出会う人たちが変わる、食べ物や水の違いを楽しむ。
その先々で自分の感覚や思考、そんなものの輪郭がはっきりとしていく。
私は私のまま、今いる未知と出会っていきながら、育っていく自分に会っているのだとおもいます。
「丁寧に生きる」ということにこの仕事を始めた最初の頃、心がけていました。
当時は所作をゆっくり、手作り、量より質で、、、などなど思っていたのように思います。
今のところは身体の声に耳を傾けながら、自分と心地よく過ごすことで自然と「丁寧に生きる」所作や方法、選択の幅が生まれてくるように感じています。
そんな試みの一つとしてnoteを始めました。
11月の静岡セッションスケジュールはほんの少し変則的になっています。祝日もありますね。
静かな空間から外の賑やかなさざめきを眺める、そんな休日の過ごし方もおすすめです。
名古屋は掲載スケジュール以外にもセッション枠をご用意することができる時があります。その時にはGoogleカレンダーを更新しています。
ご要望もお聴きしています。
タイトルを書いてもう10月なのかと改めて驚いていた
先週くらいまでは蒸し暑くてまだ袖のない服を着ていたはずなのに、半袖を通り越して長袖になってしまった。
夏の日差しで焼けてパサパサだった髪と肌が汗をかかなくなったら急にしっとりしてきた、と思ったら空気が乾燥しだしてセッションルームに加湿器はいるかどうかを考えている。
とにかく駆け足で帳尻合わせのように次の季節への引っ越しが行われている。
今年の夏は本当に暑かった。「危ないですね」と声を掛け合った。
だけれどもうそんな暑さのことは忘れていて、南瓜やにんじんの煮物に身体が喜ぶ。
自由とはなんだろう。
何でもない時に、音楽に身を委ねることができることなのかもしれない。
躰にあいた二つの穴からこの世界を覗く時
今朝、コーヒーを淹れるとフィルターの中の挽いた粉がなだらかな坂を作っていて、私はそういえばまだ砂丘を見たことがないけれど、こんな感じなのかしらと思うくらいに美しかった。
先日、ソマティック・エナジェティクスのグループセッションを受けに大阪へ。
ヨーガの実践者でカイロプラクティクスのドクターであるマイケル・マクブライド氏のホールドするセッション会場は、前日からグループセッションを行なっていたことも影響しているようで始まる前から大きなうねりと静けさに満ちていた。
こんな場をホールドする身体の中はどうなっているのだろう、身体の中を広げてみると大きな空間を感じた。
セッションはずっと目を瞑っていたので詳しいことはわからないが、数名のソマティックエナジェティックスのプラクティショナーの方たちと共にマイケルがベッドを移動しながらコンタクトしていたようです。
セッション中、何も考えていないし思い出してもいない。空間に共鳴して蛇口をひねったように目から鼻から出ていく感情を伴わない水分たち。
体勢を変える度に頭や身体が軽くなっていることに気づいた。
身体の中はマイケルやプラクティショナーの方に触れてもらう度にモードが変わったようにうねり方が変わっていく。
骨盤が前後に歩くような動きをしたり、うつ伏せの時に胸椎周りがどろっと溶けて脱力し左腕がくるんと裏返ったりと普段の身体に染み付いた癖が解けていく。
周りからは時折、歌うようにエネルギーを解放している声や嗚咽が聞こえてくる。
空間のうねりのモードが変わる度にまるで波のように身体の表面からじわじわ響いてくる。
こんな波が交差し響き合う場でプラクティショナーの方たちは飲まれることなくセッションを進めていく。なんてすごいなあと思う。
そうして場に溶けているのだろう。「場に馴染む」というのはその場のエネルギーを身体に迎え入れることとも思う。セッションが始まる前は目が合わなかった(波長が違っていた)、マイケルと目を合わせお互いに微笑んでこの場がFeel goodであることを伝えられた。
呼吸に意識が開いている時、思考は全く静かで穏やかに身体の実況をしてくれていて、身体を大きくはみ出てあらぬ方向に思考を羽ばたかせたりせずに、実況からすぐ隣にあるさりげない気づきへ促してくれる。
何箇所か背骨をカイロ的に矯正してもらい、身体の中も横隔膜を中心に大きく動いた実感があった。
空気を押し出すより吸い込むように声が出た。声量はないかもしれないがいい感じ。
セッション後の総仕上げにマイケルから
「今、マインドからハートへの旅をしているんだね。信頼して、呼吸して。」
とメッセージをもらった。
ちょうどセッション中の気付きやここ最近の散らばっていたテーマが集められ束ねてもらったかのようだった。
身体はしっかりそのテーマを宿して声を発していたのだということ、マイケルがそれをキャッチして私に伝えてくれたこと(そしてそこには「大丈夫」という応援も)を思うと胸が温かくなる。
そして
「君の背骨は十分に熟して準備ができていた」
と文字どおり背中を押してもらえた。
心身の統合、というテーマと向き合う中で初めは驚く不思議と思えるような体験や、師たちと出会わせてもらってきた。
そのうちそうそう体験には驚かなくなったり、出会いを必然と思えるようになった。
逆に驚くようになったのは、ずっと一緒に生きてきたと思っていた自分の中に新しい一面を見つけた時だ。
その度に新しい扉を見つけたように何かが動き出すことを繰り返している。
朝のプラクティスをヴィパサナ瞑想からアーナパーナ瞑想に変えた。
ヴィパサナのプラクティスでは身体の変化を観察していた。
アーナパーナをプラクティスすることで、思考を休ませることに具体的に踏み出してみようと思う。
思考はなくならないし悪でもない。いつかは必要とされ確かに守ってくれた過去があるかもしれない。
今は歩むプロセスの上で思考に対する比重は軽くなり、それにともなうケアが必要なのだろう。
集中力のトレーニングにもなり、過集中や注意力分散が改善したらいいなあという期待も添えて。
来週の月曜から静岡です。
セッションを受けてくださった方から
「身体の変化は内面の変化による結果だと気付きます。」
とコメントをいただきました。
ソマティカでも大きな柱である「身体と心のつながり」について。
もし「おや、これはもしや?」とご自分の体験の中にそんな片鱗を見つけられたら、ぜひ手に取りさらなる体験へとつなげていただけたらと思います。
許可をいただきシェアします。