自分軸とはただ自分と一緒に居ること

今月に入り、もいっちょ腰を入れ直して瞑想と向かいあってみようと、朝の瞑想の後にヴィパッサナー瞑想を指導されていたゴエンカ師の講話を聞くことにしています。

この講話はヴィパッサナー瞑想合宿に参加すると毎晩聴くもので、合宿は10日間なので全10話。
今朝8話目を聴き終え、すでに侘しさを感じています。
合宿で聴いていた時も1日、1日が過ぎていくことに焦りと寂しさと、それだけあの空間に心地よさを感じていましたっけ。
講話を聴いていると、合宿に参加した時の京都の年末年始の雪積もるしんとしてそしてぼわっと包まれる暖かさを思い出して、講話の内容があの時とはまた違う角度と深度で受け取る自分も感じながら、それでも止めようもなく胸に広がる暖かさを感じながら朝を過ごしています。

雪が当たり前に降る地域は、家屋がそれ用に作られているから家の中は暖かい。
南生まれの家の方が冬は寒さに縮こまっているのかもしれない。

「正しい」正論や説法を「従わなければ」とギュッと握りしめて信じる、というよりも
その時感じた心地よさの中で自然と身体に染み込んでいくものに、今の自分にちょうど良い学びがあるのだと。

講話の伝統的な仏教の話に「そうだよなあ」と自分の過去の経験を通して頷きながら、動き出した一日の中では心地よさを胸に広げながらその時その時、自分の中での最善で在れるように。

失敗してしまった時もそこに居る今の自分を抱きあげて、反省点と巡ってくるだろう機会を楽しみに待つ。

どの瞬間も、できる限りに自分を観察する。

そうして9月は過ごしていて、自分を観察しながら自分に寄り添って、自分と対話して、呼吸を感じて。

ひたすら自分、自分、自分。

自分の中に引きこもるかなと思っていたけれど、案外自分に集中すればするほど外には開いていく。

ああ、面白いなあ。

私はここにいますから、どうぞWelcom。そんな感じ。

この感覚は合宿の安心安全に閉じた世界とは違う、社会の中で実践するからこそ気づけたことなのかも。

世の中がどうであっても自分の目の前のことを一つずつ一つずつ。
何かになろうとしなくていい。
一歩ずつ進んだ先にいるのが今のちょうどいいあなたです。

セッションの感想を見返してみたら、瞑想している時と同じだなあと改めて。
瞑想状態にいる時が、身体と心が一番生きる力を発揮しやすい時。
セッションをしているとお一人お一人の中にちゃんと答えはあるのだということを教えていただいています。
社会が不安に包まれたりしていても、自分の生きる力を信じていきましょう。