かしこみかしこみまおす

先日、人類学のテキストを読んでいたところ

宗教、及び宗教に含まれない類の信仰も含め、「目に見えない世界」という合理的根拠なしに成立する世界と、合理的な証明を必要とする科学は相反する。しかし科学自体が「目に見えない世界」のような領域を否定しているわけではなく、未証明の領域が広大であるからこそ科学は前進することができ、宗教や信仰とはまた違った別の「証明を待つ仮説以外の形では扱わない」という姿勢が異なる点である。科学と真に相容れないのは、科学が証明したというものしか存在しないという科学主義と呼ばれる特殊な世界である。

というような意味の内容に触れ、思わずおお、と声が漏れ嬉しくなってしまいました。
というのもここ数ヶ月ふと思い出しては考えていた事柄だったからです。

科学とはなんだろうと考えたとき。
科学とは「反復して再現が可能であると証明できるほどに理解できたと思われる一つの説」だと中川は考えます。
仕組みや理屈がわかるからこそ現象を再現・分解ができる。そこから応用として生活において実用することもできるようになる。
そして必ずこれには「反証が現れる可能性」が常に含まれています。
つまり、今はそれが解明できたと思われているがいつの未来か違う反論が現れ結果が覆されるかもしれない可能性が常にあるということです。
今はその理解が正しいかもしれないが、次の瞬間は違うかもしれない。

科学において「絶対に正しい」ということはなく常に「間違っているかもしれない」という疑いの姿勢が必要なのです。
だからこそより正確さと反復性を求めるために証明に必要なより合理的な根拠を集めることが必要になるのです。
しかし、これは科学の実験だけに限られた話ではなく、私たちの日常でも大なり小なり「現実的な思考」という形で現れます。
ここで忘れてはいけない大切なことがあります。
私たちの心には自分の信じたいもの、見たいものを優先的に探すようなフィルターが無意識のうちにかかっています。
これを心理学では「確証バイアス」といいます。

この確証バイアスにより自分にとって都合の良い事実や根拠を優先的に取り込み、都合の悪いものは意識にすら登らないようにする傾向があるのです。
他にもたくさんのフィルターが私たちの心にはあり、それらが一人一人のものの見方を形作り、これをなくすことは不可能に近いと思われます。
現実を歪みや偏りを少なく受け止める対策としては「自分にはそういう傾向があるのだ」と自分を知ることです。自覚があることでこの影響を少なくすることができます。

対して宗教や信仰、信仰とは神仏に関わらず何かを「信じる」ということについて。
誰しもが自分の考え以外の何かを依り所とし、そこから枝葉のように伸び他者や社会と繋がって生きています。
国や文化、伝統、風習などの「意味はわからないけれどなんとなくやっていること」の積み重ねともいえる気がします。
その行為の「わからない部分」に光を当て証明していこうとするのが科学です。
この「わからない」から「わかる」ようにしていくことで長年「証明されたことだけが正しい」という意見が社会の風潮としてありました。
論争や討論が巻き起こり争いのタネとなっていたのは悲しいことです。
「証明されていないものはみんな嘘」という今考えてみると極論が極論とも扱われなかった頃もあり、かの漫画家水木しげる先生も「暮らしの中の影に光を当てることで妖怪がいなくなる」と嘆いておられました。
全てが煌々と照らし出され曖昧にして面白く時に怖く生活の中の少しの刺激であった「不思議」が存在する余地がなくなってしまうということですね。
日常の不思議が否定されてしまった結果、今の私たちは外に向けてより強い刺激として求めるようになりました。
これについては長くなってしまうのでまたいつか。

そう危惧されながらも実際、科学が証明できているものはまだまだ少なく人類全体の歴史を見ても科学が人々の生活とともにある時期はとても短いものです。
私たちが生きる世界にはまだまだたくさんの不思議があります。わかっていないことの方がはるかに多い世界の中で私たちは「わかったつもり」で生活をしているのです。

人の身体についても人の体を構成している成分や構造については名前が付いたり働きをなぞることはできても、なぜ歩けるのか、どうやって生命活動をしているのかという生命エネルギーなどについては最終的な答えは出ていませんし、文字を識別できる脳の仕組みについてさえもはっきりとわかってはいないのです。
私たちはそんなおぼつかない中に地球の多くの種類の生物の中の「ホモサピエンス」という一種類として漂っているのです。

全てわかろうというのも驕りであると思えますし、わからないものをそのまま放っておくのも怠慢のような気もしてきます。
見方は一つに限ったものではなく、たくさんのものの見方があるということ。
自分がちっぽけな存在であるということ。ちっぽけながらに自分の生きる世界を知りたいとしっかり目を開いて生きていこうとしていること。
それらを頭に置いておくことでおぼつかない中に不安よりももっとたくさんの不思議と面白さを見つけることができます。
そして皆さんが進もうとしているそれぞれの道は登山のように山の一つのてっぺんへ続いていることも知っておいて欲しいと思います。

いつの時代も社会が長く不安に覆われていると、不安の隙間から心に惑わせるようなものが入り込んできやすくなります。
それは一見、わかりやすく優しい姿に見えるかもしれません。
心を委ねてしまいたい、と思った時こそ私たちの心にはフィルターがかかっていることを思い出し、その上でしっかりその正体を見ようとしてみてください。
自分が信じたいと思える面だけではなく、批判的な目も持ってそんな意見も一度目を通してみて。
その時に感じる直感を観察してみてください。その奥には何がありますか?

どうか心の軸をしっかりと強く健やかに。
まずは胸を開いて頭を上げ視界を広く、思いっきり光と空気を吸い込める身体を意識してみましょう。
ソマティカではいつでも意識も身体もフラットに戻れるようお手伝いさせていただきます。

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